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こころの傷をケアするひとである

グリーフ‐ケア【grief care】
身近な人と死別して悲嘆(グリーフ)に暮れる人が、その悲しみから立ち直れるようそばにいて支援すること。

人の性格構造は、これまで生きてきたなかで受けた「傷」がおおきく作用している。
いろんな出来事が、1日、1日をただ生きているだけで起きる。

赤ん坊の頃、お母さんがなかなか抱き上げてくれないとか、お母さん以外怖いのに他の人に抱っこされるとか。
「そんなはしたない真似しちゃいけません」って怒られたとか。
「なんでそんなことするの」ってお母さんを悲しませたとか。
子供のころだけで、毎日、アホみたいな数の出来事が起きている。
その出来事が、こころに刻まれていって、私たちの性格を形作っていく。

こころに受けた「傷」が、私たちをつくっている。

だから、グリーフなんて大きすぎる傷を受けると、こころはボッカリと穴を作ってしまう。
えぐり取られてしまって、もう、生きていられなくなってしまう。
でも、身体は変化がなかったりするもんだから、死ねもしない。いっそ死にたいくらい痛いのに。
痛すぎて、私たちは身動きが取れなくなる。

『アナと雪の女王2(Frozen2)』の作中にアナが歌う「The Next Right Thing」という曲は、グリーフがもたらす苦しみを的確に表現していたと思う。
なぜそんなことがわかるんだと言われれば、私自身も「グリーフ」に苦しんだ人間だからだ。

死別によるものじゃない。
恋愛という、ごく普通の、ありがちな、くだらないと人に言われてしまうようなエピソードで、私は十分なグリーフを味わった。

ちなみに、婚約破棄のことではない。同じ人物によるものだけれど。
私のグリーフは蓄積であり、トドメを刺した愛おしいクソヤローがいたから生まれたものだった。

詳細は省くけれど、私は誰にも理解されないと思い込んだ故に、自分のグリーフを——自ら傷口を広げていたと思う。
だって、恋愛のことで、そこまでこころを病むなんて、誰も真剣に聞いてくれないだろう。
両親との関係で、家族との関係で、こころを病んだと言ったって、表面的には両親は健在で別居しているだけで、「いいお父さんじゃない」「いい家族じゃない」と言われるんだから、
誰にもわかってもらえない。

でもきっと、そういうものが蓄積されて、私たちは立派にグリーフケアを必要とするこころに、いとも簡単になってしまう。



傷をうけて、性格構造が作られると言った。
最近の私のイメージでは、それはこころが彫刻のように削られていく様のように思う。どんな形でも、それはとても美しい彫刻だ。
でも、同じところを何度もなんども刺したら、穴が開く。
穴は、パテで埋めないといけない。バランスを崩して、倒れてしまったり、粉々になってしまうから。

グリーフはけっこう身近で、とつぜん訪れる。
いつぶつけたかわからない痣みたいに、いつの間にかできている傷だってある。
突然傷口が広がってきて、穴になることだってある。
化膿だってする。

だから、傷は、受けたらその傷口をちゃんと見なくちゃいけない。
見たらめっちゃ痛そうだ。だからみんな見たくない。
ああ…裂け目から血が出ている…骨が見えてる…想像しただけで痛そうで、もぞもぞする。
でも、見ないと、治療してあげられない。
お医者さんに診せるべきか、絆創膏で済むのか、ほっといたら治るのか、判断するために。

人に「そのくらいの傷、痛くないだろう」とか「たいしたことない」とか言われても、自分が痛かったら痛いし、たいしたことあるかどうかは、自分で決めないと、失血死するかもしれない。

だから、自分がどうか、だけを基準に傷を痛いと言って欲しい。
これは「グリーフ」だと感じて欲しい。


グリーフケアセラピストとして、私には”グリーフ”とは、些細なことでも蓄積されれば成り立つ。ごく身近な、こころを侵していく傷のことだと思っている。

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だいぶおかしな京都人。 情報に溺れているので、自分のための頭の中の整理整頓・ライブラリとしてnoteを書きます。 婚礼とディズニーが大好き