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我が家の毒親

我が家が「機能不全家族」だと認識したのは、私が社会人になってからのことです。大学の心理学の授業をきっかけに、親に対して違和感を持ち始め、違和感は確信に変わりました。今回は、私の親の特徴についてご紹介します。

世間体に基づいた価値観

基本的に、全てのことにおいて「周りからどう思われるか」が、親の価値観になっており、しつけや教育の際に、世間から見て恥ずかしくない結果を求めてきます。子どもにとっては、成績や進路であり、優等生であることが、強要はされないものの、当たり前のように思われていました。

また、我が家では、子どもが社会人になり、その業界で専門的な知識や情報を身につけたとしても、親が優先するのは、子どもの専門的な知識や情報ではなく、「噂レベルの近所の情報」でした。

転職するために私が国家資格を取得し、紆余曲折ありつつ、一人暮らしで独立した際は、母親から否定的な言葉でけなされました。ところが、世間の人達が私の生き方を評価した途端、親の評価も肯定的に変わりました。

親は、子どもが成人しても自分達より「下」に見ていて、子どもの意見に耳を傾ける習慣もなく、純粋な評価をせず、「世間がどう思うか」で評価します。

子ども自身に選択させ、自分の手を汚さない

進路など、成長につれて選択肢が増え、同時に判断も重くなっていきます。そんな時、私の父親は「見守ってる」感を示しながら、表向きは子どもの意見を尊重して私に選択させていました。

状況により、親が止める判断が必要な場面や、煙たい意見が必要な場面もあります。子ども時代、判断ができずに、「これは今後勉強する必要があるの?必要ならする。これから必要ないならしない。どっちか教えて」と、判断を仰ぎました。父親は「もうこれから必要ない」と口ごもりながら回答。結果は、大嘘。その数年後、絶対勉強が必要な内容でした。

機能不全家族の連鎖なのか、父親の持つ特性なのか、「自分が嫌われたくない気持ち」を優先して、煙たいことや厳しいことをハッキリ言えず、周りにそれを担わせる人なのです。

選択の失敗は子ども自身の責任、成功は親の手柄


社会人経験もなく、判断に迷うような場面でも私自身に判断させ、上手くいかなければ「自分で選んだことだ」と子どもの責任。
その逆に、上手くいった時は「させてやった」と親の手柄で、時には母親は感謝まで強要してきました。
入った学校で苦労しつつ卒業した時は、「親のおかげで卒後できた。感謝してもらわないと」と、母親から言われました。いや、私自身の努力です…
社会人になれば、「働かせてあげてる。親がサポートしてるから、あんたは働けてる。」と。女性が働くことを「生意気」とか「偉そう」と否定とされました。

そんな言動を私には向けつつ、世間には体裁を保ちながら、「結果を出せた成功」とみなしたら、母親は、育てたことに対する感謝を強要するのでした。

心配しているのは親の立場

家の仕事を優先した考え方がベースにあるため、子どもの進路選択など人生まで考えていません。「自分達から離れていかない」ように仕向けます。

そのため、親の病気を機に、家の仕事を優先させ、子どもが外で働くことを否定し、正社員で働けない期間が長くありました。結婚以外の理由で一人暮らしするのも、体裁が悪い、海外に行かせないように英会話の勉強には否定的。

結果的に、子どもの目先のことは心配してましたが、自分達がいなくなった後の、子どもの人生を考えていません。支払った年金の種類で老後の生活に影響するとかね…

感情的に子どもをコントロール

母親は、感情的に暴言を吐くことで私を傷つけ、時には、被害者ぶって情に訴えながら、親の意向に沿うように仕向けてきました。言われた方は、ものすごくモヤモヤと不愉快で自尊心まで傷つけられますが、暴言を吐いた本人はスッキリしてました。
こんな時も、父親は、母親をたしなめることもなく、自分が巻き込まれないことを優先していました。

まとめ

こんな親の影響で、私はとても自己肯定感が低い大人になりました。
それでも、この15年で、心理学の本をたくさん読みながら、少しずつ自己肯定感を回復させています。毒親って、みんなこんな感じなのでしょうか?共感していただけたら、私は嬉しいです。




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