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だから、僕は自然に他人と話せる

土曜日。朝早くに起きて、溜まった衣類を洗濯機に入れる。あいにくの曇り空だが、前々から今日は洗濯をすると決めていた。

好きな音楽を流しながら、残っていた食器を洗って、ゴミをまとめて玄関に出す。

ハンドソープが減っていたので、ストックしてあった詰め替えの残りを追加する。少し汚れていたトイレの便器もサッと磨いて、換気扇を回す。

「ごま油とポン酢とあとは何だっけ。」スマホのリマインダーに記録していた買い物リストを眺めながら、スーパーに行かなきゃなと思い出す。

さて、土曜の朝のルーティーンが一通り完了した。彼女は夜型なので、まだ寝ている。


昨日は会社で大きな会議があった。全社員が集まる年に一度の会合。社長をはじめ、役員の方や部長の方々が話をして、今の会社の状況や目指している姿を共有し合った。

その後はそのまま懇親会が開かれた。お酒やお寿司が用意されている広い会場で、普段は関わりのない方と親睦を深める。

100人以上が集まる空間で、話してみたい人がいた。

その方は外部監査役という肩書きで弊社に最近関わり始めたと聞いていた。

今日の会議の場では、5分間の挨拶のみだったが、導入から話題の展開、穏やかで力強い語り口、嫌味に聞こえない簡潔な自己紹介、未来の展望を流暢に話していて印象に残った。

懇親会の時間は1時間のみ。その方を仮にNさんとする。Nさんを見ると、中央のテーブルで社長や副社長たちと話をしている。

僕は今いるテーブル近辺の人たちとの話もそこそこに、その社長たちのいるテーブルまで行こうかと考えていた。

ただ、監査役の方々は頻繁に会社を訪れる訳ではないだろうから社長とも話したいだろうなと、しばらく機会を伺っていた。

何度も様子を遠目に見ていたのだが、入れ替わり立ち替わりそのテーブルに挨拶する社員の人が後を絶たず、結局最後まで遠慮してしまい、気づくと会の終了時間となってしまった。


だが、大して後悔はしていなかった。またどこかで話せる機会は来るだろうと楽観的に考えている。例えば、忘年会とか新年会だとか。

それよりも、社長や監査役がいるテーブルに行こうと思える自分のメンタルに驚いた。

極めて冷静に、社長のいるテーブルで挨拶して何分か話をするという流れが容易にイメージできていた。質問の投げかけ方、何かを聞かれた時の振る舞い、その場の空気を読むこと、どれも自然にできる自信がある。

この1年、仕事上で色々な方と知り合う機会に恵まれている。役職も年齢も関係なくビジネスの話ができるようになったことは、自分の能力を自分で認めてあげられる大きな理由になっていた。

もともと人見知りだった僕が、自然に話せるようになったのは、①会話する相手へのリスペクト、②相手への純粋な興味。それらがあれば、怖いものはないと悟ってからだった。

が、その法則は自分が根っこから悪い性格ではないから、成り立つのだなと気づいた。

無意識に悪口を言ってしまうだとか、気づいたら相手にマウントを取ってしまうというようなことがないから、考えすぎず思ったことを話すだけで、どんな人とも会話ができるのかなと思った。

この良識的で倫理観のある性格は、後天的なものだと思っている。両親に感謝しないといけない。

文章を書くにしても凝りすぎずに、自然に心の赴くままに書いけば、読んでもらえる人がいると思えるようになった。最近、毎日がたのしい。


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