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パブリックな場所で書くこと

場所を気にせずどこでも文章が書ける今の時代は本当にラッキーだ。

歩きながらこんなこと書いてみようかなとアイデアが浮かべば、道の傍に立ち止まってスマホを開く。周りの人からは友人との連絡や地図を見てる姿と見分けが付かないので、そういった他人の目線は何も気にならない。

家までの帰宅途中で駅のホームにあるイスを見つけて、そこで30分くらい書き進めることもしばしば。なんでそんなことをしているのかと問われれば、「たのしいから」に他ならない。

これまで本を読むことに徹してきた自分が今はなぜか書くことに意味を見出し始めている。活字を読むのは元々好きなので、自分が書いた文章を読むのも好きだったりする。過去の記事は稚拙すぎて読み返したくはないが。

書く場所はどこでも構わない。だが、他人の目線が感じられるパブリックな空間の方がいいことを最近発見した。

自宅に戻ると誘惑が多く、かつ監視の目もない。そうなると必然的によほどの気力がない限りは刹那的な歓びの方を優先してしまう。そういう時、スマホは「誘惑の塊」にしか見えなくなる。

書く時間を決めてみたり書くスペースを整えてみたりと工夫を凝らしてきたおかげで、家で書ける量は以前よりも格段に増したが、外出時に比べるとやはり劣る。

僕の場合、カフェなどかしこまった場所よりも、道端のバス停のベンチ(待ち人がいないときしか座りませんが)や、本屋さんの休憩スペースなど、まさか他人はそこでエッセイなり日記を書いているとは思われないという場所で書く方が筆が進むのである。天邪鬼な部分が出ているのかもしれない。だから、人にオススメはできない。

noteを長く続けていると書く内容も変わってくるし、書き方も変わるし、書く場所も変わる。何よりも書いている自分自身に大きな心境の変化がある。そういった変化を感じられるだけでも、これまでnoteを書き続けてきてよかったなと思う。


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