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愛情不足の母親達~愛情飢餓~

子供時代に愛情で充たされなかった人間は愛情の飢餓状態に陥る。
当然飢餓感を抱えたまま大人になれば、子供の時とは違い、飢餓状態を脱するために欲のままに何かを得ようとする。
その欲が、そのまま愛情を求めるのか、歪んだ形で表出し金や名声や権力に変貌するのかはその人次第だが、何かしらの欲望の塊を抱えることになる。

ここで、愛情を欲することへの基本概念として、『マズローの五段階欲求』を活用する。
心理学のマズローは、
1.生理的欲求
2.安心・安全の欲求
3.社会的(所属と愛情)欲求
4.承認欲求
5.自己実現欲求
を掲げている。



現代の日本では多くの人が2の安全欲求までは保障されている。生活保護などの社会のシステムや制度により、大抵の人が住居を保証されている。2.の安心・安全の欲求が充たされていない人はホームレスの人達位ではないだろうか。ややもするとホームレスの人の中には心の安心や安全のためにホームレスになった人もいるかもしれない。家出する少年や少女も心の安全や安心のために家出をするのかもしれない。
なので、2.の安全欲求までは大半の人達が充たされている。

今回の疑問視している『愛情』についてだが、これが、マズローの説では3番目にくる、社会的欲求だが…人は一人では生きられない。
所属とは、仕事か家庭か…仕事にも家庭にも居場所がない、心の拠り所がなければ、ネットの世界か…いずれにしても、人は『どこかに』所属したい欲求があり、人と関わろうと試み、さらに愛情を欲するのである。
その愛情に、男女の愛情も含まれるが、もっと根源的な愛情だと私は捉えている。親子の愛情や友人との情愛や人類愛的なものだと考えている。
それほど、人は居場所やその所属した中で、愛情を欲し、求める生き物なのだということを前提にして記事を進めたいと思う。

愛情不足・愛情飢餓

結婚している人達の中にも愛情が不足し、愛情飢餓を抱えている人たちは大勢いる。親がいる子供時代に愛情不足で育てられている子供がいるように、配偶者がいて結婚生活を営んでいても愛情不足で生活している人たちは意外と多い。
すると、どうなるか?もちろん、上記に記した通り、愛情を欲し、求める。
だが、大人で結婚していて、愛情を欲すると『不倫?浮気?』だと捉えがちだが、人はそんなに安易ではない。やはり、良心の呵責が咎めるからか、はたまた依存心が強くて依存先を失うのが怖いからなのかの真理の追究はさておき、不倫や浮気が愛情充足の矛先ではない人がいる。では、どのようにして己の愛情を充たそうとするのか?

愛情を充たしたいという欲求

ちょっと脱線しますが、社会的欲求は上図にもあるように欠乏欲求なので、不足すると充たそうとします。充たされなければ、さらに上の承認欲求の充足に進めないからです。

不倫や浮気にならないような相手との愛情を求めます。
保護者界隈の人達だと、その中で充たそうと…
いや、充たせそうな相手を探します。
端的に言えば、不足している気持ち・愛情枯渇による寂しさを充たしてくれそうな相手を探します。
自分に興味や関心を持ってくれて、自分がわからないことを教えてくれて、自分が悩んでることを聞いてくれて、自分ができなことはしてくれて…
と、そんな自分を充たしてくれて、なおかつ、それらを具現化してくれる人を探すのが、人と関わる目的であったりします。
そして、その相手を見つけたら、その人からの特別扱いを求めたり、特権意識を充たしてくれることを相手に期待し、要望します。
あからさまに要望できない時は、誘導します。
どんな時でも、どんな自分であっても『寄り添ってくれる人』を探すのです。
それだけネガティブな心で充たされていて、その欠乏感を誰かに埋めてほしい人たちが多いのです。

『中身がない結婚』という形にしがみつく人たちの末路。


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