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いまごろ、Breaking Bad病。

去年の秋も終わる頃、「Breaking Bad」を初めて見て、そのあまりのおもしろさ、完成度、唯一性に撃ち抜かれ、他のあらゆる海外ドラマが「なんかあんまりおもしろくない…」病にかかってしまいました者です。

なにを今頃…Breaking Bad?という感じかと思われますが、わたしも「シーズン1の1話」だけは見ていたんですよ。(←はっきりと言い訳ですけど)日本でも放映され話題になった2015、6年頃、まわりのいろんな人があんまりすすめるので。
でも自分は共感性羞恥が強い方だからか、序盤の序盤でもうウォルターが不憫すぎて見てられなくなり、そのまま離脱していたのでした。

ですが、数年。さらにGOTショックに襲われたわたしはついに、より上質なドラマ体験を求めて、封印していたBreaking Badに立ち向かったわけです。
立ち向かうって言うかもうね、2話に入ったあたりですっかりどハマりしてました。なんだこのドラマとんでもない。
見終わってみればなんのことはない「わたしの中の海外ドラマ1位」になってしまいました。ということで、Breaking Badの「ここがイイ」についてだらだら書かせてください。他のコンテンツへの消化不良な気持ちを転化して叩きつけさせてください。(あ、結構古いドラマなので【ネタバレあり】にさせていただきます。未見の人はご注意ください)

重いのに軽い。

「末期の肺癌と宣告された超マジメ化学教師ウォルターが、家族の為に金を残そうと麻薬ビジネスに乗り出す」という、悲壮感漂うログライン。
手に汗握りつつ、涙なしでは見られないアレか…と想像するわけですが、そんな湿度の高いことにはならないのがBreaking Bad(意味は“道を踏み外す”とかです)。
これは主にウォルターの性格表現からそうなっているのですが、彼自身がまずそうそう悲しみを表に出さない(覚悟は悲壮ですし時々かんしゃくは起こしますが)。どちらかと言えば怒りに転化したそれをしまいこんで、物事を理系的に処理しようとしたり、慣れない悪事に慌てふためく状態が続いたりして、じとじと悲しんでる暇もないのです。それがここちよい。
圧倒的に悪いことをしているのに、末期ガンなのに、本人必死なのに、初めて自分の強い意思で生き始めたおっさんを見ているのが、なんだかすがすがしいのです。

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強い意思を持ったおっさんは癇癪を起こすとピザを投げたりします。

わからないのにわかる。

そうして麻薬ビジネスの奥深くに入り込んで行くほどに、ウォルターは次第に元々備わっていた天才性を発揮し始めます。とびきり純度の高いメス(メタンフェタミン)を作ることができる稀有な男。機転も効く。
そうした自負を得、さらに犯罪者たちとその対応にも慣れていき、一方で数々のストレスに押しつぶされながら、やがて別人のように変貌していく。その流れ、なんかわかる。
そんな死と悪と残酷と滑稽がごった煮になってる中で、狂気みたいになっているウォルターが、時に途轍もない悪に見えたり、善行を成そうとしている弱者に見えたりするので、彼が何を考え感じているのかわからなくなる。
けれど、彼がそう行動するしかないのも、わかる。
他にもどうしようもないジャンキー、どうしようもない悪事、どうしようもないバカ、そんな理解しがたいものが理解できないまま、わかってしまう。

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本当にどうしようもない時のジェシーでも、決して見捨てない。

遠いのに近い。

そうやって、よくわかるようなわからないような絶望と解決の中を、ウォルターやジェシーと一緒にぐるぐる翻弄されていると、悪自体と普通の生活との距離がとても近いことに気づいて驚く。
人を殺したり、死体を処理したり、そんな具体的な悪事の実行には遠かったとしても、それをしないといけない状況は誰からもそんな遠くの異次元にあるわけではないことに気づく。
途方もないクライムドラマが、強いリアリティを持っているのは、この距離感が腑に落ちるからなのだと思います。家族のため…と信じてメスを作り、死体を溶かし、爆弾で人を殺すことを画策する。
悪って…なにかね。北の国からの菅原文太ばりに呟きたくなります。

恐ろしいのに美しい。

そんな絶望とエグさてんこ盛りのBreaking Badをよりすばらしくしているのが、舞台となっているニューメキシコ州アルバカーキです。赤い岩と黄色く乾燥した下草、荒野の上に広がる宇宙まですっぽ抜けたような青空の下を、例えば人の首を乗せた亀が歩く。
このからっとした風景と犯罪のコントラストが、とても叙情的です。Breaking Badの舞台は当初カリフォルニアが予定されていたらしいですけど、圧倒的にアルバカーキの方がいい。変更になってよかった。

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荒野にとめたキャンピングカーはメス精製工場。

本当に先が読めない。

大学の時、日本映画史の講義をしていた田島先生はよくこう言っていたものです。「いい映画っていうのは先を想像できない(あるいはさせない)映画です」
それで言うと、Breaking Badは本当に先が読めない。シーズン2のピンクのクマのぬいぐるみがプールに浮かんでいるフラッシュで、その原因を想像できた人なんているのだろうか。(ミスリードだって気づいたってどうにもならないくらいすごい)
他にもセリフに頼らないドラマ作りだったり、キャラの描き方だったり、計算行き届いた構成だったり、技術的にすごいと思う部分が本当にいっぱいあるドラマです。くらくらします。

いいドラマは見終わったあとの喪失感がハンパない。

ストーリーには終わりがある。終わりがあるからおもしろい。でも喪失感はどうしたって避けられない。そしておもしろければおもしろいほど「あーおもしろかった! でももう、見られないのかーーー!」という絶叫になる。
でも大丈夫。Breaking Bad終了後に始まったスピンアウトドラマ「ベター・コール・ソウル」も大傑作な上に、継続中の最新シーズン5は今月2月24日からNetflixで配信決定してるそうです。うう、楽しみ。

その新シーズン見終わったら、もっと緻密に観察するためにBreaking Badをもう一周しようと思っています。なんならシナリオ全部書き起こしてみるとか…(なんらかもっと吸い取りたい気持ち)しかしそいつは、ほぼ変態の域。でもそれくらい、すごいドラマだと思うのです。かしこ。

おかしかっていいですか。ありがとうございます。