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10日くらい前のことです。夜9時過ぎに蝉が鳴き始めました。こんな夜に?と思っていると、鳴き声は非常に大きくなってまるで家の中にいるようです。びっくりして声のする玄関へ行ってみると、どうやらドアに止まって鳴いているようでした。恐る恐るドアを開けると、玄関わきの隙間に落ちてしまいました。よく最後に木から落ちてきた蝉が暴れるのを見かけるので、そっとしておこうとそのままにしたのですが、しばらくするとまたドアの外で鳴き始めました。這い上がってきたようです。また玄関を開けてみると今度はドアのすぐ下の地面にいました。少し開けたドアから何蝉なのか観察していると、いきなり家の中に入ってきました!そしてまた家具の間に落ちてしまったのです。このまま力尽きるのかとしばらく様子を伺っていると、翅を動かしてジジッという音を立てています。なんとか家具と壁の隙間から救い出してみると、もう手を合わせてひっくり返ったままでした。やっぱり最後の大暴れだったんだと、でも光のある方へ飛んできたのだなぁと思いました。もうすっかり合掌している格好だったので、表に返してテーブルの上に置きました。でも時々何か音を出します。生きている、と思ってよく見るとたたんでいた足を片方伸ばしています。またしばらくして音がしたので見てみると、今度は両足を伸ばしています。きちんと整えた標本のようです。最後の気力で一番格好良い姿を見せているかのようでした。

まさかもう飛んだりはしないと思いましたが、万が一また飛んでどこか隙間に入ってしまってもと思い、少し浮かせたプラスチックのカップを被せて眠りました。なんとなくこのまま外に放り出して意識はあるのに蟻にかじられたりしてほしくなかったのです。次の日の朝、なんとそのカップの中で翅音を立てています。観葉植物の上に乗せておくと、知らぬ間に、隣に置いてある水栽培のサツマイモ(水はすっかりなくなって干からびていました!)に止まっていました。前の晩はお腹がすいてあの状態だったのでしょうか?あのカラッカラのサツマイモが役に立ったとは思えません。でもすっかり蘇っているようなので外に出すと、元気に飛び立って行きました。      さて、この出来事は何を表しているのでしょうか?

ふと「空蝉」という言葉が思い浮かびました。調べてみると、単に「蝉の抜け殻」という意味もありますが、「現世」あるいは「この世に生きている人」という意味があります。実は最近安否が気になっている人がいました。「無事に生きている」というお知らせでしょうか。大変な思いをして、ぎりぎりのところで九死に一生を得たのでしょうか。もしくは何度も脱皮したうえ、地中に何年もいて、ようやく地上に出てきて飛び立った蝉が、一度は手を合わせたあと蘇ったように、長い時をかけて培ってきたことが一度ご破算になって、たとえ一時落胆したとしても、灰になって生まれ変わる不死鳥のように「大丈夫、新しく再生しますよ」という別の暗示なのでしょうか。あるいは、世の中に抜け殻を被ったような人々が横行している、という意味もあるかもしれません。                                                            ちなみに昆虫図鑑によると、このアブラゼミという蝉は真夜中に一声鳴いたりすることがあるようです。

では、また。ご機嫌よう。





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