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メリーゴーランド

たまたま通りがかってふらりと骨董市展に入ったときのことです。
来場者5000人目とかで5000円分のチケットを入口でもらったのです。なんと運の良い、と思ったものの5000円では買えないものばかりでした。主催者側は高価な骨董の値段を5000円割引しますよ、というつもりだったのでしょうがこちらはプレゼントをもらう気満々でした。欲しいものがあって入ったわけではないのでなおさらです。
そのとき気になっていたものはメリーゴーランドでした。輸入食品店でメリーゴーランド型の缶に金色の紙に包まれた丸い薄い形のキャラメルがたくさん入っているものを見つけて購入してから無性に気になっていたのです。

そしてその骨董市で見つけたのです。骨董ではなく新品ですがメリーゴーランド型のオルゴールを…。今日もらうプレゼントはコレだと一目で決めました。そして新しいオルゴールの入った箱を見た時、表記された作家さんの名前を見ると昔絵皿をプレゼントされたことがある作家さんでした。「この作家さんのお皿を持っています」とお店の方に言うと、「彼は友達です」というのです。今もそのお皿を大切に使っているので不思議な縁を感じました。

そのメリーゴーランドが奏でる曲は「愛の喜び」となっていますが聴いてみるとエルビスプレスリーの「愛さずにはいられない」でした。オルゴールでは同じ旋律を繰り返すので曲を通して聴きたくなりエルビスのCDを買い、この曲ばかりを繰り返し聴くようになりました。そしてある日突然感じたのです。今私が聴いている Can't Help Falling In Love という言葉は恋愛の甘い囁きではなく、親でも恋人でも誰でもない存在が私に向かって伝えてる想いなのだと。そして何者かに自分の存在を全肯定されているような気持ちがしたのです。私自身が自分に全てを受け入れてもらいたかったのかもしれません。思いもかけないことがきっかけで気付くことがあるものです。

と終わるはずだったのですが、メリーゴーランドが何を意味するか、というのを忘れていました。最近たまたま読んだ自分が書いたノートに、この骨董市のことが書いてありました。そして前述の「一角獣」ででてきた飴細工屋さんはこのとき会場にいた飴屋さんです。 つまりユニコーンが気になっていた時期とメリーゴーランドが気になっていた時期は重なっているということです。そして今これを書いているということはまた当時と同じような状況が巡ってきているのかもしれません。                   同じ所をクルクル回る馬が、同じ旋律を繰り返し鳴らす玩具が象徴することとは…。 本当は生きた馬で草原を走りたいのに遊園地の中の固定された馬でも楽しいんだと自分に言い聞かせているのかもしれません。別のことに意識を向けて自分の本心に気付かないようにしているのかもしれません。あるいは自分についた嘘に気付けないこともあります。今まで楽しかったけどもう楽しくない、この場所が気に入っていたけどもうここには居たくない、と自分の感情の変化に気付いたならばそこから移動すればよいのです。 が、遊園地のメリーゴーランドならば時間が来ればゆっくりになって止まりますが無意識に乗っているメリーゴーランドはなかなか降りるタイミングがつかめません。少なくとも自分を大切にするために、今の気持ちを確認することも忘れるクルクル回る装置からは降りて止まってみることが必要なのでしょう。 

では、また。




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