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蜻蛉

今回も虫からのお知らせです。
今年は夏が始まる前からよくトンボを見かけました。昨年初めて見た小さな小さな赤いトンボを、今年も近くの公園で大量に見ました。家の周りでも度々トンボを見かけていましたが、ここ最近はシオカラトンボが家に帰ると玄関の前の地面に止まっていたり、でかけようとドアを開けるとまた地面に止まっていたり、何しろドアを開けると必ず姿を現すという日が10日は続いています。何故かいつもシオカラトンボです。カメラを向けるとすぐに行ってしまいますが、持っていない時は結構長く留まっています。いつもコンタクトを取るのを忘れてしまいますが、こう度々尋ねて来てくれるということは、何かメッセージがあるのでしょう。

最近とある出来事が近所であって、冥界からのお知らせだったのかと思っていたのですが、そのことが一段落ついても毎日姿を現します。何か見落としていることがあるのかもしれません。

こちらに飛んで来たかと思えば自在に方向を変え、行ってしまったかと思えばまたやって来て今度はジッと止まっていたりする…この動きを視ていて、最近心の底では不自由を感じていたことに氣づきました。無邪氣に振舞っていたら、謙虚という言葉を意識させられて、自分の無邪氣は傍若無人であったのかと、自分に忠実であることは単なるわがままだったのかと心が窮屈でした。

トンボの自由自在に方向変換する姿は、もっと軽やかに向きを変えても良いし、時に人の意見などかわしても良いし、自分のご機嫌に集中で良いのだと、その調子で良いのだと言ってくれているのかもしれないと思ったのです。何か引っかかりがあってモヤっとする時は、大抵要らぬ氣遣いをした時でした。人は些細なきっかけで、すぐに他人基準になってしまうものです。飛ぶ者が地面に居たということは、地球と繋がりながら軽やかであれ…かもしれません。そしてインスピレーションに素直に行動して良いよ…と勇氣づけてくれているのではないでしょうか。と自分に都合の良い解釈してみましたが…実はどこかに辛口の苦言が隠されているのでしょうか?

では、また。ごきげんよう。


【追記】この記事を投稿した後に、自分がトンボの細密画のTシャツを着ていることに氣づきました!色あせるほど長く愛用しているのに、今まで蝶だけが描かれていると思っていました。実は蝶よりも数多く描かれていました。目の端でトンボが描かれていることを”知っていた”ので、鏡に写したわけでもないのに氣づいたのだと思います。

トンボは私の目は節穴である、日々目にしているのに長年氣づいていないことがある、というメッセージでもありました。あの顔に対しての目の大きさからも目の使い方を象徴していますね。せっかく目という能力があるのに使いこなせていないということですね。あらゆる部分に対して言えることです。やっぱり苦言も含まれていました。

では、改めて、ごきげんよう。


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