私の灯籠は燃えた

ガシガシという音と共にパイプ椅子が蹴られる振動を感じながら、花火大会あるあるだなぁという気持ちを抱いてぼぅっとしていた。

花火大会は暑い。お祭りだし、立派な花火も見られる日本の夏の大イベントだが、夜とはいえ気温は30度近くある。花火を見ない夏というのももったいない。できれば年に1度は花火を拝みたい。ぐずぐずと悩んでいた私を見かねて、主人が赤城山夏祭りを提案してくれた。

赤城山をご存知だろうか。赤城乳業、ガリガリ君のことじゃない。赤城、空母ではない。赤城山だ。群馬県前橋市にあり、標高1,828m、会場の大沼までは車で行ける。大沼の標高は1,310m。夏祭り会場にしては標高が高い。避暑が期待できると張り切って向かった。

当日はジャズ演奏や軽食販売があり、灯ろう流しイベントと花火が打ち上がるとのことだった。

高崎の自宅を出発した時の温度は38度。暑すぎる。汗が吹き出て止まらない。日差しも痛い、体を突き刺すように太陽は照りつける。

赤城山を登るにつれ木々が多くなり、空気が変わるのが分かった。気温を見ると28度。昼の15時、陽が沈む前からこの温度差に感激した。標高が上がるほどどんどん気温は下がっていき、23度になった。16時前だ。

群馬のB級グルメ、焼きまんじゅうを堪能し、私たちは花火のために湖畔にレジャーシートを敷いた。小さなパイプ椅子を組み立て、会場に流れるジャズ演奏を楽しんでいた。

真後ろに2組の親子がやってくる。話すこともままならない小さな子供を何人もつれている。親二人に5人くらいちびっこがいた。賑やかだ。そのうちのひとりから、やけにアプローチを受けているのだ。ガシガシ、ガシガシ、かわいいのに一人前に蹴ることはできるんだから、参っちゃうよね。

ぼうっとしていると、アナウンスが流れる。灯ろうの販売が始まるとのことなので、私も一つ手に入れた。

主人が山を描いてくれた。

この灯ろう、願い事を書く欄があった。そこで私はふと、疑問を抱いた。灯ろう流しとは故人を偲ぶもの、だと思っていた。

お盆の終わり、故人があの世に旅立つ時に送り出す「送り火」として、魂を慰めて弔う意味で灯篭とともにお盆のお供え物を川や海に流す。灯籠流しのイベントによって、願い事(祈 世界平和、復興祈願)などと、書くこともある。

と、いうことのようだ。

そんなわけで、願い事を書いて流す、ということに少し違和感があった。せっかくなので、数年前に亡くなった祖父母が願っていたことを、私は書いた。

灯ろうだけではなく、花火だって同じだ。鎮魂の意味を込めて打ち上げられるということは、昔から知っていたのだが、それらを、ここに来ている人のうちどれだけが知っているのだろう。

そんなもやもやを感じながら、私は灯ろうを湖に流した。

ふわふわと揺れながら流されていく。

他の灯ろうに、コツンとぶつかりながら、ふわふわと。

すると、私の灯ろうが一瞬ぱっと明るくなった。目が霞んだのかと思い何度か瞬きをした。

燃えている。

メラメラと、ゆらゆらと。火をあげながら。

これは、私の願いは叶わないということ?おじいちゃん、おばあちゃん、ごめんね。

複雑な気持ちで灯ろうを見送り、不思議な気持ちで花火を見上げることになってしまった。

私の灯篭は、燃えていた。ここ、noteという広い海に、この思い出を流してしまおう。

来週のお盆、楽しみだな。

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