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小さい生き物たちに学ぶこと

前回投稿から約10日も経ってしまった。

その間、友人たちの出産ラッシュであったり、主人の誕生日、おつきあい記念日、とにかくめでたいことが多くあった。お祝いは楽しい。みんな好きだろう。

あと数日すれば私も誕生日なのだが、私の中のジンクスとしては、誕生日付近はあまり運が良くない。運だけでなく、調子が良くないことが多い。誕生月占いでもビリだったりする。

そのジンクスは大当たりで、絶賛不調続きだ。体調面で言えば、病院に行くと言っておきながらめんどくさがって今月も行かなかった。反省しなければ。来月は病院へ行く予定があるので大丈夫。のはず。

それ以外だと、飼っている金魚の様子が変だ。

金魚を飼っているのは、主人が好きだから。結婚前から飼っている金魚と、ドジョウがいる。ドジョウがかわいい。金魚もかわいい。今年のゴールデンウィークに1匹お亡くなりになった。数年一緒にいた仲間がいなくなるのが悲しくて、泣いた。

残った金魚とどじょうは元気だった。彼らがついに、元気をなくしている。正確に言えば、金魚が元気がない。どじょうはわからない。(あまり動かないので)

寿命かな、とか言ってみるけど、そうであって欲しくない。おじいちゃんの家で飼ってた金魚は10年くらい生きていたのに。

話しかけても応えない金魚につぶやきかける。がんばれよ〜と。

小さいのによく生きているなと感心してしまう。バクテリアや苔を食べながら、数日餌がなくても生きられるのだから、大したものだ。

え、今日のnoteはなにかって、金魚を眺めていたら文章を書きたくなったので、書いている。

小さい生き物を見ていると、そこから命の偉大さを感じられるねって話。

命というのは、大きい生き物だから、優れているから、大切なのではない。小さい生き物でも、話すことができなくても、命は等しく大切なものだ。

とは言っても、私は蚊を殺める。今年は最低でも5匹は叩き落としてしまった。申し訳ない、と思いながら手を洗う。同じ命なのに、自分にとって危険だから、殺してしまう。

危険だから、で殺すことが許されるのだろうか。そうではないのかもしれない。何かしらの根拠があって「危険」を主張し、相手を殺す。うーん、この考え方を正当化してはいけない気がする。それなら人間同士だってOKになってしまうから。

深く重い話になってしまうのでその辺は各自考えるってことで。

話を戻す。金魚はこんなにも小さいのに生きている。新生児が幼児になり子供が大人になるように、金魚も大きくなっていく。生まれたてはまるでメダカだ。(素人の私はみんな同じに見える)それが大きなヒレをなびかせる立派な金魚になる。

重ねてみれば、私も彼らと同じように、家族に育てられてここにいる。今、文章を考え、キーボードを叩くことができるようになっている。彼らも同じだろう。初めは砕かれた餌しか食べられなかったのが、砕く前の大きな粒を一飲みできるようになっているのだから、成長だ。

水槽の底で静かに休んでいる金魚を眺めて思うこと。いつか自分が死んでも、誰かの思い出になれたら幸せだな、なんて思うのであった。

うへぇ、綺麗事だ。


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