大学の偏差値を上げるのは大変な理由
偏差値の低い大学がFラン(ボーダーフリー)と馬鹿にされてしまうことがあります。「なんでこんなアホな大学があるの?」「てか、偏差値上げれば馬鹿にされないっしょ」とお考えになる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、以下のとおりFラン大学を一躍超インテリ大学に成長させるのはそう簡単な話ではないのです。
私立大学の支出の5割〜7割は人件費支出
まず財政的なお話をすると、私立大学って学費高いですよね。大体100万〜120万ぐらいが相場ではないでしょうか。一体何にお金がかかっているんだと思われるかもしれません。そう、標記のとおり、人件費がその多くを占めているんですね。理系の大学では設備にも相応のお金がかかるので割合は変わってくるかもしれませんが、概ね5割〜7割は毎年人件費に消えていると考えて良いでしょう。
そして、これこそが後述する偏差値を上げるうえでは非常にネックになる問題です。
とんでもない教育プログラムを用意
すごく幼稚な表現になりますが、偏差値を上げるには相対的に受験者をガッツリ集めて、ガンガン厳選していかなくてはなりません。ただ、偏差値の低い受験生が大勢集まっては厳選する意味もありませんので、とんでもない教育プログラムを用意し、本来早慶上智や国立大学を受けるような層に受験してもらう必要があります。
果たしてそのようなプログラムを思いつく人がいるのかどうか分かりませんが、早慶受験層を集客できるほどのアピールができなければ、偏差値上昇は望めません。
広告費への投資は惜しまない
さらにとんでもない教育プログラムを用意した暁には、広告費を惜しまず投入し続けなくてはなりません。専属の有名講師陣やタレントを起用するなどしてさらなるブランディング化を押し進めなければいけないのです。失礼ながらFランと呼ばれる大学は、相対的に有名な卒業生もいない現実があります。その逆境を跳ね返すためには、莫大な広告費をかけて大学を宣伝していくしかありません。
まとめ
上記3項をまとめますと、とんでもない教育プログラムを用意し、その宣伝広告を惜しまずガンガン広告費を投入していく、そして偏差値上昇のために受験者を上層以外は落としていくことで偏差値は上がっていくでしょう。ただし、偏差値を上げるために定員割を起こしている状況にあっては、支出の大部分を占める人件費はなんとか工面していくしかありません。
このように大学の偏差値を上げるのは非常に至難の業と言って良いでしょう。
そもそも偏差値を上げる意味はあるのか
さて、偏差値を上げる難しさをお話してきましたが、日本には800弱の大学があります。その中でこのような酔狂な取り組みをする大学は見たことがないと思います。崇高な理念と清貧を洗う思いをすることで不可能なことではないと思われますが、それは何故でしょうか。
そう、そもそも偏差値を上げることにそこまで意味があるのか、ということです。やはり高い偏差値の受験生、大学があるからこそ、低いそれも存在している訳で、それぞれに存在価値はあるということです。
さらに最近では私立大学が個性的な教育を行うよう推奨されていることもあり、一概に偏差値が高い=良い教育プログラムがある、とは限らないので、壮絶な受験戦争を勝ち抜いた世代の人たちからはあまり理解を得られないかもしれませんが、偏差値には拘らない世の中になってきている気もします。
というわけで、大学側にとって偏差値というのは副次的なもの(主観です)であり、それよりも個性的な教育によるブランディングの方が余程大事なのです。