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二人の推し

最近の私といえば「将棋は頭脳のセックスだ」という色狂いの境地に至ったが故に藤井聡太七段に心を乱されまくっている。(これを書いた頃にはまだ七段だったのだが、今はもうタイトルを獲られて藤井聡太棋聖となっている。)
どう相手の動きを封じ、自分の手が有利に働くよう攻めるか、ということばかり何時間もかけて考えて争うのであるからそれはもう恐ろしいほどセクシーではないか。AIが四億手先を読んでも導かれなかった藤井先生の一手は六億先まで読んだ際の最善手だったという逸話をきいた。対局なんてしてしまおうものなら私がどう攻めてくるか、それを踏まえて自分はどう指すのが最善か、六億手も先まで読まれてしまうのだ。
彼の歩が、桂馬が、飛車が、私の心の王将を攻める。もうとっくに王手である。心は成ってしまっているのである。参りました。藤井先生の玉将にそっと手を合わせて立ち去るより他ないのである。(なお、これ以上将棋の知識を身につけてしまうと藤井先生および将棋界のエロさに尚更造詣が深くなってしまい、戻ってこられない所まで行ってしまうため、私は将棋を学ばないようにしている。星野仙一のものまねを振られた時、バットを振る程度には野球を知らないように、将棋の知識もほとんど無い。成るって闇堕ちみたいなものですよね違いますか)

さて、そんなはしゃぎ方とは裏腹に私はいたって冷静に絶望していた。結婚はおろか交際以降、夫以外の男性にときめいていなかった私は、自身の心境の変化に動揺してしまったのだ。将棋の色気やその将棋で類い稀なる才能を発揮し続けている若き棋士のお姿に想い悩むほど、煩悩に溺れて息ができなくなる。夫への罪悪感と今後の夫婦生活への不安で胸が締め付けられる。
私は隠し事ができない人間だ。不安や不調がすぐに顔に出て周囲にバレてしまう。ご飯が喉を通らなくなる前に夫へ正直に打ち明けた。
「藤井聡太くんがエロすぎて頭がおかしくなりそうなの。貴方と付き合ってから貴方以外にこんな風になるのは初めてで驚いてる。貴方はずっと素敵で、こんなに良い旦那さんっていないと思うの。だから、これからもずっと仲良くしたいのに」
馬鹿ばかしい話だとわかっていても涙が出てくる。自分の変化によって夫婦生活が壊れるのが怖い。夫を傷つけたくない。頬に伝う涙を夫は手で拭いながら言う。
「確かに俺だけを見てくれたら嬉しいし、他の男にキャーキャー言ってたとして、何も思わない訳じゃないけど、心の中は自由だよ」
そして切ない顔をして続ける。
「時ちゃんが苦しそうだから」
全て伝わっているのだ。私の不器用で身勝手な言い分も、苦しみも。苦しまないように許すから楽になってほしいという夫の優しさに、再び胸が苦しくなる。
夫を推していく中で夫の行動一つ一つを尊んでいた私が、推しという場所から離れた所から夫の優しさを受けて初めて夫婦愛というものを感じられた気がした。
その優しさはファンサービスなんかではなく、紛れもなく私への愛だったのだ。
私は、この人の妻で良いんだ。藤井棋聖への憧れを飼いながら、夫への尊敬と愛を惜しげなく注ぐことを心に決めた。


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