見出し画像

自分の20年後とあの人の20年後

13日に3ヶ月オリエンテーションがあり首都リマへ。
同期と時間を共にしたかったので、ホテルに宿泊してゆっくりしてきた。

そんな土曜日、首都リマにいる友達と遊んだ。

友達を紹介したい。
トシコ(86歳)とスエミ(69歳)のおばあたちである。
(おばあって言うと本気で怒られるくらい元気でパワフルおばあ
交通マナー最悪のペルーでクラクション鳴らしまくる69歳のドライバー)


遊んだ内容は、昼ごはんを食べに日本食レストランへ。
日本食スーパー、韓国食スーパーに行って
トシの家で昼寝。

2人とも日系2世。国籍は日本。パスポートは2つ。
両親が日本人としてペルーに渡ってきて、2人はペルー生まれペルー育ち。
日本に住んでいた時期もあるため日本語ペラペラ。
でも日常会話はオールスペイン語。
自分の任地は日系人コミュニティが昔からある地域だから、日本人としてペルーにいるだけで喜ばれることもある。

家では日本茶と日本のお菓子、日本のニュースが流れてた。


なんか、言葉に表せないくらい、意味わからんくらいホッとする時間をトシの家で過ごした。

ソファに寝転がって、なんでもない時間を何をするでもなく過ごしてたら
「温かいお茶いる?」
「しいたけ好き?」
「昆布持って帰る?」


元気に動き回ってるおばあを見てて
この何でもない1日を、ずっと忘れないだろうな。と本気で思った。
2年経って日本に帰ってもトシの家でのこの時間を自分のものになってるし、懐かしく思うんだろうなって。そしたら時間が全身に染みてきた。

自分は20年後、48歳。
トシは20年後、106歳。







時間って有限なんだなって痛感した。
ペルーにきて、本当に地獄のような退屈な時間をたっぷり過ごしていて、精神的にも限界な時があった。けど、そんな時間すら、二度とないペルー生活だから大事にしないと帰国してから後悔するなあって、ソファでぼんやり考えていた。

大きな窓から気持ちいい夕方の風が入ってきて
家の前にある公園ではニーニョたちがサッカーしてて

何かをしてないといけない、何かに時間を使わないといけないって思ってたけど、「ただペルーの人たちと一緒に時間を共にするだけでもいっか〜」って思った。


何かをするには短く
ただ生きるには長い
協力隊としての2年間という期間は
現地の人たちと生活を共にする中で必要とされる支援を、求められている。
そのための”2年間”であることを思い出した。


「世界で体育教師をする」
「世界で一番面白い体育教師になる」
って目標を持ってペルーにやってきたけど、何者かになろうとすることをやめた。なんかどうでもよくなった。

世界で一番面白い体育教師かどうかは、子供らに決めてもらう。
もし、そう思ってもらえたら本望。
そんなこと言われたら多分泣く。

もちろん「JICA海外協力隊」として派遣されているからには、配属先に求められていること、「JICAの組織と一員」としてすべきことにはコミットする。



でも、多分何年か後にペルー生活を思い出して温かい気持ちになるのは
トシの家で昼寝したり、一緒に日本のニュース見たり、日本語でなんでもない話をした時間になるんじゃないかな。って思ってる。




夕方になって、トシは友達からお誘いの電話があり、ヘアブラシで髪を整えながら嬉しそうに準備していた。
旦那さんは40年以上前に病気で亡くなったらしい。息子や孫は日本の群馬県に住んでいる。去年22年ぶりに息子がペルーに遊びにきたって嬉しそうに写真を見せてくれた。

「また日本に行きたい?」って聞いたら
「行きたいけど足が痛いから・・・」って悲しそうにしてた。

集合住宅の3階に住んでて、毎日階段を登っているらしい。
一緒に登った後の息切れと、動悸の長さがトシの年齢を感じさせた。


「トシ、また家に遊びに来ていい?」って聞いたら
「リマにきたら、またうちに遊びにきなさい。」って。





友達と出かけたパチンコ屋では勝ったのかな?

トシ、いつまでも元気でいてくれよ!!


#人生 #ペルー #日系人 #青年海外協力隊 #JICA





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?