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「未知なるものの探究」と読書

私の趣味は、「未知なるものの探究」です。
これは、哲学に挑戦した経験を元に読書で実行していることです。
詳しくは以下のとおりです。(読み飛ばして大丈夫です)

趣味は、「未知なるものの探究」です。
この趣味が芽生えた背景として、哲学者の情報への向き合い方があります。
哲学者は、過去の哲学者が導いた答えを理解することに満足しないどころか、自身に新たな問いを設定し、自らの理性と経験に基づいて未知なる答えを探究する姿勢を持っています。これは私に足りない姿勢だと感じたのです。

この体験が契機となり、「未知なるものの探究」に興味が芽生えました。
また同様の気づきを得るために実行していることが読書です。
なぜなら、作者の数だけ価値観や考え方が存在し、それらを読み進めていくことで彼らの思考プロセスを疑似体験できるからです。ちなみに、1ヶ月で10冊ほど読みます。読書によって、自身の視野が広がり、価値観が多様化していることを感じます。

これはまさしく、自身が多くの方にいいと思ってもらえるものをデザインするデザイナーとなっていく上で重要なエッセンスです。ゆえに、「未知なるものの探究」の一環として読書をしています。

現在、就活や卒制と並行しながら目標年間100冊の「未知なるものの探究」を行っています。今やっと、55冊ぐらいです。

そこで、そもそもなぜ哲学書を読みふけるようになったのか、そこから「未知なるものの探究」に派生したのかを備忘録的に残そうと思い、筆を取りました。
そのため、1から10まで自分語りです。
もしそれでもよろしければ、どうぞ。

きっかけ

入学早々、大学の図書館で出会った「人間的、あまりに人間的(ニーチェ著)」が全く読めず挫折しました。
手に取った理由は、推しが読んでいたからです。


小学校からルパンシリーズを読破するなど、読書に馴れ親しんでいたので、「世には理解に及ばない活字が存在するんだ!」と感動したのを記憶しています。

この挫折体験から、本業であるデザインを全くやらず哲学書を読みふけることになります。

哲学書

高校では、全ての授業を睡眠に変換していたので、全くと言っていいほど知識がありません。
そのため、比較的読みやすい(らしい)哲学書を精読することにしました。

選んだのは、かの有名な「我思うゆえに我有り」のデカルトの本です。

経験というものは、人が知識において進めば進むほど、その必要性を感じさせるものである。

この本は、哲学書というよりは、物事の考え方・確立の仕方を、順序立てて説明した本です。
中タイトルも「理性を正しく導き、学問において真理を追求するための方法序説」と記されています。
スラスラ読める本ではありませんが、努力すれば理解に達するレベルです。
おすすめです。

彼らの哲学のやり方は、きわめて、凡庸な精神しか持たない人々には、まことに便利である。
彼らのいる区別や原理の曖昧さゆえに、どんなことについても、よく知っているように大体にしゃべることができ、どんなに鋭敏で有能な人に対しても、自分たちの言うことすべてを主張しつづけ、誰も彼らを説得する手立てがないからである。

小難しいことばかり書いてあるかと思いきや、大衆に批判的で分析的な姿勢が今の社会にも通用すると気づき、読んでいて面白かったです。

そんなこんなで、3ヶ月ほどかけ、方法序説の自己解釈をノート1冊にまとめながら読破しました。

私が、ここで得たことは哲学者の未知なるものに対する姿勢です。

哲学者は、すでにある答えを理解することに満足しないどころか、自らの理性と経験に基づいて未知なる問いを立て探究する姿勢を持っています。
それまでは、ただ本の内容を理解するために読書をしていましたが、だんだん本の内容を理解した上で問いを立て、自分で考える姿勢を身につけたい!と感化されるようになりました。

この経験が契機となり、素人でも理解できるレベルの専門書を読み漁るようになりました。

模索の中で

それからは様々な本を読みました。

本のいいところは、作者の数だけ価値観や考え方が存在していて、読み進めていくことで彼らの思考プロセスを疑似体験できることです。
特に、一時代の天才の思考を1000円ほど出せば追体験できるのは、お手軽にできる貴重な経験です、まじで。本当に。

さらに、ジャンル分け隔てなく接点を持つことで、自身の視野が広がり、価値観が多様化していくことを体感できます。

そういえば、大学2年に悩んでいた「制作における客観性」についても、これらの探究を行ってきたおかげで、自分らしい言語化できたなーと思う。

全ての事象は、人の認識に依存しているので、
制作における客観性とは妥協というものの現象である。
個性を発揮したい部分を妥協し、自分よりも見せる相手の趣向に沿った箇所を作る能力の対客が本質なのではないか、つまるところ社会だな…
(制作における客観性の言語化)

客観性を大事にして、自分の感性を妥協するという形を取るよりも、
見せる相手(=ユーザー)の趣味嗜好にあったものを作る能力を元に、自分の個性を人に合わせていく努力が必要だよね、それが客観性の本質で、
それが求められるのって社会じゃん!みたいな文意だった記憶があります。

振り返れば、制作における客観性の言語化を元に、リサーチに力を入れるデザインをやり初めて、UXデザイナーを志望みたいな道筋だった気がします。


本を読んで語彙を増やすのは自分を変えるのに大いに役立つ。微妙な表現を知れば、自分の微妙な感情や思いを表現することができるようになるからだ。それは直接的に生活を変えることになる。

っていうのを何かの本で読みましたが、
正にその通りで、頭の中で思考するときに「言葉」という道具を使うしかない以上、様々な文章に触れて武器をたくさん持っておいて損はないなと思います。ということで、生まれ変わっても活字中毒みたいな人生を送りたいな

それこそ職業、読書があったらいいのにな・・・

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