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時間軸は螺旋だった

気分が変わると好みも変わります。もう十年くらいお蔵入りになっていたメレルのスニーカーが復帰しました。ふとアレを履きたくなったのです。欲しくて買った靴でしたが一度履いたきりになっていました。友人が同じものを履いているのを見て少しムッとしたことが起因しました。流行のモデルではあったのでそんな偶然もあり得ますし、お揃いを楽しんでも良かったのですが、ボクにはそれができませんでした。(心が狭いのです) 些細なことでしたがチャチャが付いてしまって履きたい意欲が折れてしまいました。もうそうなると評価のまなざしがネガティブに偏ります。着ている服との合わせが悪かったり、つま先の当たりがきつく感じたりと小さな障りがどんどん気になります。そして、もういいやとなって下駄箱の奥にしまい込まれて十年の歳月が流れてしまいました。十年という時間が長いのか短いのか。こういうことを考え始めると深みにはまってしまうので程々にしておきます。長い十年もあるし短い十年もあります。このスニーカーが眠っていた十年も、その長短をキリッとした言葉で説明することはできません。こういうときに時間の主観性を感じます。記憶の内容によって長くも短くも語ることができます。竜宮城での滞在期間みたいなものです。それは浦島太郎本人に聞くしかありません。時計が刻む秒数を累積してカレンダーは年月日を記号化しますが、それは浦島太郎の意識の中にある時間スケールとは異なります。うまく言えませんが座標軸が違うのだと思います。SF映画で描く時間軸は螺旋だったりループだったりしていますね。現実の地球上でも厳密に計れば山の頂上と麓では時計の進み方が(僅かですが)違うそうです。小数点以下の秒単位まで計測する原子時計なら富士山頂と静岡駅では時間表示にズレが起こります。重力との関係らしいですよ。アインシュタインの相対性理論によって説明が為されます。詳しいことはよくわかりませんが面白いですよね。
それでスニーカーのことです。今朝の散歩にそのメレルで出かけたんです。十年ぶりの登場です。そしたら履き心地が良くて気分が弾んで調子がいいんですの。なんか嬉しくて、コイツを朝の散歩靴に抜擢することにしました。グレーのバックスキンなので履き古したブルージーンズにも合いそうです。いやベージュのコットンパンツの方がいいかな。そろそろ暑くなってきたから短パンで行ってみるか。などなど、アクティブな発想が起こります。こういうのを気の持ちようと言うのでしょう。

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