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記憶の中のわたし③

②の続き

高校生の頃のわたし。                        

進学先の高校で、何となく人になじめず居心地が悪かったことは記憶している。また、ひどく他人を意識して、その言動に敏感に反応していた。相手が言っていることがすべて自分にあてはまっているようで、なぜか責められているように感じ、罪悪感があった。

元々社交的でない性格と、なぜか自分は女の子らしくないという子供の頃からの自覚。だから女の子同士の話に全くなじめない。それでも中学生までは友人もおり、それなりに楽しい時期もあった。

しかし、高校生になると一変、全く環境の異なる中で、自分が異質な人間のように感じ始めていた。

誰にもなじまない、いや、なじめない。女の子同士が話していることの何が楽しいのか、何が共感できるポイントなのかよくわからない。「なぜなじめないのか?」そう思ったところでその対応方法が全く分からなかった。 

とにかく人にも環境にもひどく自意識過剰で、すべて悪いのはわたし。そんな風にいつも感じていた。だが人に対して特別悪いことをしていたわけではない。

しかし、なぜか「悪いのは自分」と、何事においてもひどく自分を責めていたのは覚えている。なぜ責めているのかはよく分からない。ただ「自分の存在が人に迷惑をかける。」そんな風に感じていた。今にして思えば、その辺りから精神的に不安定となっていたのである。

そして授業中におきた腹痛、その後悩まされた症状と反応。高校に行くこと自体が苦痛と不安で、どうにもならない状態となった。

特にひどかったのは、授業が始まると始まる腹痛。そして得体のしれない不安感。

とにかく「また腹痛をおこすのではないか?」という不安と強迫観念がつきまとうようになった。そしてそれに呼応するかのように必ず身体が反応し、腹痛をおこしていた。

そのうち行きたくもないトイレに何度も通うようになり、高校だけでなく、どこへ行くのもトイレが近くにないと出かけることができない状態となってしまった。

その後それはどんどん悪化し、腹痛と共に心因性の頻尿に悩まされるようになる。こちらの方が症状がひどく、5分に一度トイレに行かないと気が済まない。しかし、当然行ったばかりのトイレに行っても出るはずもない。ただトイレに行けないと思うとそれだけで不安が増大し、授業どころでなくなってしまった。そしてその不安が更なる不安を呼び、症状はどんどんひどくなっていった。

それと共に授業を受けている間、必死に机にしがみつくようになっていた。しがみついていないと、まるで高いところから落ちるかのような感覚が身体中を覆っていたのである。「とにかく怖い。」「教室にいたくない、学校に来たくない。」頭の中はこればかりで、成績はどんどん下降の一途をたどっていた。

この時期、毎日のように自分の身の上を悲観し、泣いてばかりいたことは今でも鮮明に覚えている。

「自分の人生はもう終わり。」「良くなるとは思えない」。自分の意思ではコントロールできないからだとこころを自覚するたびに、自分が自分ではない離人感も感じるようになっていた。16、17歳にして、自分の将来は既にないように思えた。

そのような状態でのカウンセリング。そして父との関係を指摘される。

ではなぜわたしの症状と、父が関係するのか?

そう、わたしは育ちの過程で、「お前が悪い」「お前はろくでもない」と年中言われ、叩かれ続けたことで、いつの間にか自分の存在に対し自信が持てず、罪悪感を持ち、周りの目をすごく気にするようになっていた。

そして「自分が悪い」と自分を責め続け、何をするにも自己否定するようになっていた。

このような自分に対する思い込みやわたしの生来の性格など、これらを素地とし、たまたま合わない高校生活において腹痛をおこしたことがきっかけで、いわゆる不安障害等を発症してしまった。

特に子供の心理カウンセリング場面では、親子関係は重視される。後に心理学を学んでこの意味を知ったが、私の場合も例外ではなく、父親の自分への扱いから、自分という人間のイメージを決定し、それを本当の自分と思い込んでしまっていた。

その時指摘されて初めて、親子関係が与える重大な影響を知ることになる。

だが指摘されたところで、発症してしまった症状を改善する方法は依然として見つけることはできなかった。


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