ファンタジー小説の科学思考

古いファンタジー小説を読んでると、なんかこう、あやふやだなと思う事が多い。

魔法とか。

例えば指輪物語のガンダルフ。

魔法使いなのはわかるけど、どういうことができるのか? 1日に使える量は? といったことが何もわからない。

水滸伝の妖術使いでも似たようなことが。

相手が妖術使ってきたらそれを打ち破って、さらにカウンターで妖術食らわせることはあるけど……結局どれぐらいの効果があるのか?

何人ぐらいまで相手に戦えるのか?

その力で風呂をわかせるか?

そういうことが不明なままで話終わっちゃう。

魔法使いの倫理観

おそらく出来る出来ないの話だけじゃなく、魔法をみだりに使ってはいけないという、魔法使いなりの理由はあるんだろうとは思う。

師匠から伝授された大事な秘法を、風呂をわかすのに使っては申し訳ないとか。プライドの問題でやりたくないとか。

使いすぎると大気中のマナが枯渇してしまうとか、何か利害として明確な理由があるならわかるんだけど。

転生者だと、目立ちたくないという理由で使わないこともある。

でも悪人ならそういうの関係なく使うだろうし、そうすると対抗するためにこっちでも全力で応戦するしかなく、結局何の魔法を使えるんだ? という問題になる。

どうかんがえても試す

もし自分が異世界に行って、魔法が使えるようになったとしたら……絶対そういうの試す。

何ができて何ができないのか?

正確な効果範囲は?

何時間寝たら再使用できるのか?

そういうの全部確認してからじゃないと、おそろしくて実戦で使えない。

例えば怪我を直す魔法というのも、身体の時間を戻すのなら散髪した髪だって戻るだろうし、怪我と認識した部分にだけ作用する系かもしれない。

その世界に資料がないとしても、試せばわかるし、試さないとわからない。

ゲームやラノベを大量摂取してるから仮説には事欠かない。

自分が知ってる法則と同じだと仮説を立てて、実験して確認する。地球とは法則が違うかもしれないけど、科学的にそれを確認することができる。

ゲーム慣れした人間なら、誰が異世界に行っても多分そうなるし、そうでない話は不自然に思える。

20年前だったらそうは思わなかったんだろうけど。

ゲームシステム化した魔法

転生者が解明していくのか、最初から解明されているかは別として、とにかく明確にシステム化されてる。

これはゲームの影響だろうと思う。

ゲームは数値化されてない物をうまく扱えないので、魔法の力も出来ることも、使える回数も、全部決まってるし、そういうものだというのが前提。

それが一番慣れてる世界でもある。

その段取りをそっくり小説やアニメの世界にも当てはめてる。

ただ、魔法の神秘性は失われてしまった。

どうやったらこうなるかってわかってる物は、不思議な魔法というよりも、その世界の法則なので。

法則化してない物はあやふやなで信用できないし、作者の都合でどうにでもなるので、いまいちのめりこめないところがある。

なろう系と言われる小説は、このシステム化の傾向が強い作品で、どの媒体で発表したかとはあまり関係ない感じがする。

気にしすぎ問題

システム化されてない、法則もきっちりしてない、そんな話が書ける方が意味不明だとも思う。

設定を開示するかどうかはともかく、眠りの魔法が使えるならさっき使えばよかったとか、そういう不自然な状況が起こる。

そうならないように、整合性って気になるものじゃないの? って

気にしすぎなのはわかってるけど、だからって気にしないようするのはむずかしい。無意識のうちに縛られてる。

気にした結果、逆におかしなことになってることあるけど、どうあれ気にして書いてるし、読んでるという印象。

こうやって今書いてる文章も気にし過ぎの産物だけど、気にしちゃうんだからしょうがない。

説明のつく話しか読みたくない

というのも、あるのかもしれないと感じている。

前提としては超常現象があってもいいけど、それをどう使うか、誰がどう動くかというところは納得のいく話。

現実では説明のつかないようなことばかり起こるから、物語の中ぐらいちゃんと説明がつくようにしといてくれと。

何も考えずに戦ったら、運でたまたま勝ったみたいな話は、無責任すぎるし、救いもない。

そうはいっても魔法の神秘が楽しみたいこともある

基本的には科学思考に縛られてるし、本もそういう読み方をしちゃうんだけど、そこから開放されたいと思う部分もある。

古い本を読んだ場合だと、当時だったらこうなるかな……と、許容出来る範囲が広くなる。でも古い本が無限にあるわけでもなく。

その線で考えていくと、時代設定をもう少し前にずらして、昭和の小中学生みたいな設定にすれば、新作の小説でも可能かもしれない。

現代の青少年、なかでもライトノベルを読む層の平均値で考えると、科学的思考から逃れるのはむずかしいけど、昭和の青少年ならありえる。

あとは児童小説。

子供が主人公の場合、読者がゲームをやったことないという状況も不自然ではなく、科学的思考の鎖から解き放たれる可能性がある。

ハリー・ポッターは、学校教育で魔法が使えるようになる、ある程度再現性のあるものとして考えられてるけど、あいまいな部分も多い。

ハリーたちが使える魔法はハッキリしてて、使える魔法を駆使して戦ってるけど、ダンブルドア先生がどういう魔法が使えるのかは曖昧なまま。

でも先生に「MPどれぐらいあるんですか?」とか聞かない。

ハリーがゲーマーじゃなくてよかった。

指輪物語のガンダルフも主人公じゃないし、ストーリー描写の中心ではない人なら、細かい描写をせずにすむ、神秘性も持たせやすいかもしれない。


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