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日本に帰るのを躊躇うのは

日本にかれこれ9年帰っていない。

ずっと「日本に6年帰っていない」と思っていて、人にもそう言っていたけど、以前帰った時に0才だった姪っ子が、3年生になったと聞いて、9年経つのだと驚いた。時々こうして年月のカウントが止まることがある。

あれから、会ったことのない姪っ子が2人増え、甥っ子姪っ子は合わせて6人になった。

そろそろ帰り時かと、今年の冬に3週間ほど日本に帰ろうと決めた。
ところが、今になって躊躇している。

なぜ日本に帰るのを躊躇するのか。

丁度グリーンカード(永住権)が4月に期限切れになるので、その間近に帰ってなにかあればアメリカに戻るのが難しくなるかもしれない、とか、どうでも良い言い訳みたいな理由もある。心配なら、6か月前から更新手続きは可能なので、さっさと更新すればよい。

なぜ日本に帰るハードルがこうも高いのか。

東京にも大阪にも会いたいと言ってくれる友だちがいて、帰る場所がないということではない。

多分、ひとつ目の大きなハードルは、わたしには長年叶えたい夢があり、それがまだ叶っていないことにある。ベタな上京ストーリーじゃないけど、なんとなく、叶えるまでは人に合わせる顔がない、というか、会ってもまた同じようにグダグダしてる姿を見せるだけで恥ずかしい、とか。相手は誰もそんな「顔」なんてどうでも良いと思っていて、恥ずかしがってるのは自分だけ。自己中心的でエゴイスティックな思考なのは百も承知なんだけど。

それから、日本のいろんな勝手がわからなくなっていたら厭だな、とか。
駅で切符を買うとかコンビニで支払いするとか10年前と随分システムが変わっているみたいだし。でも、そんなことは誰かに聞けばすぐわかること。

なにが私をびびらせるのか。

ひょっとすると、一番心配しているのは、自分の母国として心の柱の存在であるはずの「わたしの日本」がもうどこにもなくなっていることを知ることかもしれない。

以前、戦争花嫁としてアメリカ軍人に嫁いで渡米した日本人女性とノースカロライナで会ったことがある。11年前の当時、既に80代後半だった彼女は、日本語の発音がクールなロッケンローラーみたいになっていて、話すと日本語の合間に沢山の英単語が混じった。アメリカに60年以上住むと、わたしもいずれロッケンローラー化するのかぁ、と遠い未来を想像した。それにしても、いつどのようにロッケンローラーが現れるのか、ある朝目覚めると、突如ロッケンローラー化してるのかは、今も謎。

彼女は、渡米してしばらくはニューヨークのハーレムに暮らし、生活も楽ではなく、戦争花嫁として渡米したことの後ろめたさのようなものもあって、25年くらい日本に帰らなかったと話していた。

そして渡米から25年経ち、ようやく帰ってみると、あれほど恋焦がれた日本がどこにもなかった。自分の知っていた日本がすっかりなくなっていた、駅前も街も外国みたいだった、馴染みある景色がどこにもなかった、とおっしゃっていた。
戦後の25年って日本が最も変化を遂げた時期じゃないかと思う。

それ以来、親が亡くなった時に帰ったのが最後で、帰ってももう会う友達も、行きたいところもなにもないから帰りたくない、家族の中でたった一人生きている弟が病気で、多分もう会えないだろう、それだけは寂しい、とおっしゃっていた。

その時は、「自分の日本がなくなる」ということを、まるで想像の中の物語みたいに捉えていたんだけど、今になって、現実のものとして迫っているような気がして不安なのかもしれない。

でも、これも、きっと帰ってみたら、やっぱり今の日本も日本だとすぐに気づくかもしれないし、心配なんてすぐになくなるのかもしれない。多分、わたしはまだロッケンローラー風の喋り方にはなっていないはずだし。

きっと変わったものもあれば、変わらないものもあって、変わった日本も日本に違いないし、日本は私の母国に違いないんだから、なんにもビビることなんてないはずなのにね。


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