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#1 「物」の経済と文化においての捉え方

福岡県八女市で地域文化商社として活動する株式会社うなぎの寝床。九州ちくご(福岡県南の筑後地域を中心とした九州エリア)のものづくりを伝えるアンテナショップから始まりました。地域のアンテナショップですので、当然「物」を取り扱っています。うなぎの寝床が扱う物は全て地域が特定されたトレーサビリティがはっきりした物です。ただ、物と言っても、様々な捉え方があり、うなぎの寝床なりの物の捉え方を今回書いてみようと思います。

目次
1.「商品」としての物の捉え方 / 一般消費者・経済的な観点
2.「情報」としての物の捉え方 / 文化的な観点
3.価格がつくと自分事になる。生活という視点が発生する。
4.文化を伝えたいが、経済を回さないと文化は継続できない。
5.ショールームではなくアンテナショップという選択を。


目次です。上記に沿いながら、考え方を書いてみようと思います。あくまでも、見解なので、これが一般全てに当てはまるとは思っていません。一つの視点としてご覧いただけるとありがたいです。

1.「商品」としての物の捉え方 / 一般消費者・経済的な観点
物をどう捉えているのか?という点において、一般消費者、経済的な観点から捉えると、それは「商品」と言えると思います。商品は「機能」と「価格」しかありません。この領域を仕事として実践しているのは、大手の小売業、メーカーです。基本的にマーケットイン的な発想により、消費者は何を求めているのか?という視点から、そこに合わせた商品を投下していく。そこに合わせた商品と価格と機能を追求した商品を作り込みを行う。これがマーケットイン的な仕事だと考えます。それが経済中心に考えた「物」の見方だと思います。※これが悪い訳じゃありません。

2.「情報」としての物の捉え方 / 文化的な観点
一方、地方における伝統工芸や小さいメーカーに関しては、物における価格競争と機能的、価格競争で勝っていくというのは難しいです。日本は先進国であり人件費も材料も高いですので、安く提供するという領域においては、かなり海外や大手小売業と戦うのは難しいと感じています。そして、そこで勝負する必要もないと感じています。もちろん価格などに関し努力する必要はありますし、機能的な側面も考える必要はあります。しかし、大手がやれない領域を見つけ出し、そのニッチ領域で価格と機能をつきつめて勝負するという領域が必要です。

僕たちが扱っている物の「商品特性」に関しては、その土地に根ざしながら、現代生活(ライフスタイル)にも適合し、未来を感じさせる物を取り扱っていますが(この領域に関しては違う記事で紹介します)、そこだけではあまり意味がないと思っていてこの情報の部分を伝達することが重要だと考えています。

【物に含まれる情報=文化】だと僕は捉えています。その物が作られた背景や土地の文脈、地域特性などの歴史、そして、その土地・環境を基盤にして育まれて来た技術(技術は当然進化したり、変わって来ているのでその文脈)そして作り手の思想。他にも様々な要素があると思いますが、このような生産背景や文脈、土地性が文化だと考えています。

地域で生まれるプロダクトを伝えるためには、この文化的な情報をしっかり伝えていくことで、「価格と機能」を突き詰めた商品という意味の物と差別化されます。そして、文化をしっかり伝えていくことで地域経済を回すということが重要だと考えています。

3.価格がつくと自分毎になる。生活という視点が発生する。
アンテナショップうなぎの寝床を始める時、僕は小売業をやったことがなく、地域には地域の物を見れるショールーム的な存在が必要じゃないか?という仮説はあったものの「物を売る」ことにはさほど興味がなく、どうしようかな?と悩んでいた時期もありました。基本的には地域で生まれた物が見れる場所をつくりたいなと。

しかし、一般の人は「物」「ものづくり」のみに興味がある人はマスではなく、誰がつくっているのか?などは意識いる人は少数派です。価格がつくということは、一般の人とコミュニケーションとりやすくなるということだと僕は考えています。

一つ例をあげてみると、博物館。僕は高校生までサッカーばかりやっていたので、歴史などに、まったく興味がなく、文化度もおそろしく低い学生だったと思います。博物館なんてもってのほか、まったく興味などなく、訪れたこともありませんでした。そこにある土器や歴史がある物にロマンは感じることができず(感性が低い)、よくわからないものとしてそこに存在していました。これは、一般的な大人でもあまり変わらないと考えています。もちろん、博物館に興味がある人がたくさんいることは前提としてありますが。

しかし、例えば縄文土器に値段がついていたら?人はわりと興味を持ってみてくれる幅は広がると考えています。縄文土器 2000万円。価格がつくことで「うわ!なんでそんな高いの!?どんな価値あるの?」と興味を持ち、そこから、その歴史性などに対して興味を持つことができます。

人は自分の生活や主観の延長線上にしか物を捉えることができないのではないか?そういう仮説も立てることができます。価格がついた物を見るということは、あなたの所得や生活水準や素養や知識の中の文脈から見て、その価格価値について考えるということです。

なんでも鑑定団」はいい例だと思います。おそらく、あの番組で出てくる、例えば魯山人の器が200万(仮)だとしたら、一般の人は魯山人を知らなかったとしても「えー!器200万!?なんでよ!?」となり、そこから「魯山人ってどんな人なんだろう?(作り手の背景と実績、思想と哲学)」を知りたいなと思い、それを学び、また鑑定士である中島誠之助さんたちの「いい仕事してますねぇ。(リンクはCMです。あまり深い意味はないです)」という「歴史と技術と感覚のお墨付き」をもらうことで、その価格に納得していく。そういう仕組みだと思っています。

自分では、価値判断ができないので、専門家の人たちに託しています。しかし、価格という要素が軸になっている番組であることは間違いありません。この番組から価格が抜け落ちると、骨董の歴史や価値を愛でる番組になるかと思います。

もちろん博物館を否定している訳ではありません。博物館には学芸員の方々がしっかりいて、商業ではない領域で、歴史的な研究や、物や資料のアーカイブを行われていて、それ自体は本当に素晴らしい活動であり、重要です。ただ、僕がやる領域として博物館と同じ領域をしても仕方ないので、地域で生まれる価格がついた物を介して商いを行なっているということです。

4.文化を伝えたいが、経済を回さないと文化は継続できない。
伝統工芸や地方におけるものづくり(工業ではないクラフト・工芸的な領域)に関していうと、どこか情緒的な語られ方をします。「伝統工芸がなくなるのって、寂しいよね。歴史があって、魅力的な人がやってるのになんで残らないんだろう。残ったらいいなぁ。」という話はよく聞きます。そして、後継者問題なんてことが語られます。しかし、これはあまり突き詰めて考えておらず、しっかり考えると、一瞬でこの問題がなぜ発生しているのかわかりますが、これは経済的な問題です。

経済的に循環しているものづくりの現場には後継者は必ずいます。後継者がいないものづくりの現場は、ほとんど経済がまわっていないことが原因で、子供に継がせていません。ある意味自然なことです。

僕はあまり当時経済には興味がなくて、文化的な発信をすることが重要だ!と考えていたのですが、そのためには経済もまわさないと意味がないんだなぁ。とやりながら気づき「しっかり売っていく」ということの重要性に気づきました。

「売っていく」と書くと、なんかガツガツした印象を持たれるかもしれませんが、売れるということは価値交換だと考えています。生活者と生産者の価値交換。いいものであれば、その価値をしっかりと構築して情報としてまとめる。それを伝えて生活者の人が、その価格で買いたいと思って、物を渡せば「お金という交換価値」による物とお金の交換が行われます。それが売る、売れるということです。

その交換の総量がある一定量を超えないと、生産者は生活できません。当たり前のことなのですが、みんな他人には興味がないので本気で考えず「いいものなのに、なんで続かないんだろうね。残念だね。」とつぶやきます。もちろん悪気はありません。僕らは、その現実に少しだけ密接に向き合ってみて、仕事として活動しているというイメージです。

経済がしっかりと回れば、後継者もついていきます。ものづくりも続いていきます。文化を継続させるためには、経済循環が必要だ。という話でした。

5.ショールームではなくアンテナショップという選択を。
上記のような理由から、博物館的・ショールーム的な領域よりも、まずは価格と機能がついている「物」、文化的な領域を含んだ「物」、両方の要素を含んだ「物」を取り扱うことによって、結果文化を継続したり、伝達することからはじめています。それが、アンテナショップです。しかも、このアンテナショップを都市部ではなく、作り手がたくさんいる地域に出し、文化発信しながら運営するというところがポイントです。

地域で生まれる物に対して議論をする時に、わりとこの経済的な側面と文化的な側面をごちゃごちゃにして議論することが多いこともあり、少し自分なりの考え方をまとめてみました。

本質的な地域文化の継承を。