#11 うなぎの寝床、7年目に突入。「わからない」を許容する。そして、物事を自分毎として捉える。

うなぎの寝床は7月1日で、創業して6年を終え、7年目に突入しました。九州ちくごのものづくりのアンテナショップです。といいはじめスタートした仕事は、芯は変わっていないのですが、物を介して作り手や土地性、技術や精神などを伝達するという一方向的な役割だけでなく、メーカー的な側面や、動画の制作、大学との連帯や行政との連帯、そして、消費のあり方を考えたり、九州外との人脈を地域に流入させたり、海外と一緒にものづくりをしたり、また、株式会社という形態をとりながら、内部の人たちともどう取り組んでいくのか、地域とどう取り組んでいくのか。組織はどうあるべきなのか?もっというと、人間はどう仕事と向き合っていくべきなのか?という課題にも直面してきています。

仕事というのはなんなんでしょうか?僕も、老若男女様々な人に6年間で出会い、考えさせられており、毎日いろんなことを考えますが、よくわからないというのが正直なところです。人それぞれ向き合い方が違うから。

僕は「よくわかりません。」と答えてしまうことが増えてきました。「どう思いますか?」ということに対して、時と場合によりますが「よくわかりません」と答えてしまいます。いや、違った。何か答えを求められていることに関しては「わかりません。」と答えているような気がします。

人は答えを求めている。というのが、最近感じることです。でも、僕にとっては答えなんてなくて、物事に対して、何が大事で何が大事でないか、何がその瞬間で適切なのか考え続けるということが重要なのかなと感じています。ただ、締切と判断というのは「答え」を出さないといけないタイムリミットのようなもので、それが決まったら、一時的にその時のベストな答えだと思うことを判断はします。しかし、その判断は、日々吟味されて、どんどん、その瞬間瞬間に合わせて更新されていくべきだと考えています。時代の流れはとても早く、刻々と変わり続けています。その時代に合わせながら、自分たちの思考も行動もアップデートしていかなければ、すぐに時代からとりのこされていきます。もちろん、変わらない芯の部分は時代と関係なく持っておく必要がありますが、それはごく個人的な軸なようにも思います。会社という受け皿は個人の軸によって形成されるべきで、会社は受け皿でしかないと考えています。

6年前、僕ら(僕とハル)は、これといったビジョンもなく、その時やれそうなことを仕事にしました。正確に言うと、一年目は仕事と言える状況でもありませんでした。売上は自分たちが生活できるほどはありませんでしたので、物の売り買いだけでなく、僕がデザイン活動なども含めて、なんとか生きながらえていたというのが正直なところです。いや、今でもあんまり変わった状況ではなく、基本的には、毎日課題が訪れて、その現象に対して、どう取り組むか?その積み重ねが社会との接点になっていて、今後どうなるのか?は一応想像はするのだけど、やはりわからず、でもがんばって想像はしながら、現在地点の判断をしていく。この繰り返しでしかありません。

それを積み重ねていっていたら、今は16人の会社になっていた。その事実がどういう状況かは、よくわかりませんが、僕にとってはいろんな人たちと関わりながら、様々なつながりはできてきたなと実感しています。それは、とてもありがたいことです。ただ、それがどういうことなのか?ということも、客観的に多いか少ないのかもよくわかっていない(まあ、それはどうでもいいことか)ので、また毎日何かを積み重ねていく。そういう毎日を過ごしています。

人間のキャパの問題についても考えるようにはなりました。やっぱり、人間は24時間しかないので、やれることが限られてきますので、仕事においては、ある程度分業していかなければなりません。その時間をどうすごすのか?これも重要になってきます。うーん。ま、いいや。

とにかく、年々、いろんな人にあったり、会社という形態をとっていくごとに、僕にとってはわからないことが増えてきている。だから、社内もお客さんも、取引先の人々も、関わった人たちも、みんなで今後の世界について、生き方について議論して考えたい。答えはわからないけど、自分がその時感じたことや考えたことについて議論を続けていく。ということが重要なのだと今は思います。

まさか、7年目を迎えた時に、こんな曖昧な記事を書くとは思わなかったですが、何かはっきりとした目標を決めるようなことはできなかった。曖昧な世の中に対して、対峙していくことが大事なのかなとやっぱり思います。

今日は富永さんと、いろいろと話しましたが「自分毎として現象を捉えているのか?」ということが大事だなと。世の中の問題とか、世の中の現象ではなく、全ては自分毎として捉えられているのか?その自分という軸を持つことが、結果社会と関わるということにつながっていくのではないか?そういう議論をしました。これが、今後、うなぎの寝床にとっては指針になるような気はしています。うなぎの寝床は、地域文化商社という形態をとっていますので、地域文化とそれぞれ、個人個人がどう向き合えるのか、どういう思考を持ち、どういう行動を起こせるのか?それに尽きるかなと思います。

今後も、曖昧なもの、わからないものやことを享受しながら、前に進んでいけたらと思います。白水

本質的な地域文化の継承を。