200329 ぐるぐると考える日々。

週末のUNAラボラトリーズ の企画展のトークイベントは流れた。前日に苦渋の決断だったが、中止を決定して参加者に連絡している途中に福岡県の自粛要請が発表された。よかったのだろう。多分。

経営者としての自分と、個人としての自分が僕には存在する。経営者としての自分は、やはり経済的な側面に不安を抱えている。地域文化商社としてものづくりと関わってきている中、僕らの売上が止まるということは、作り手の売り上げが止まるということ。僕らの卸先の売上が止まるということは、僕らも作り手もとまるということ。そして、文化は一度なくなると極めて復刻が難しいということ。それは常に気になっている。

僕らはどういう判断をしていくのが適切なのか?なかなか判断が難しい。

個人としての僕は、こういう機会にいろいろリセットされるのはいいと思っている。経済活動がとまり、環境などについて一度立ち止まって考えたり、人間中心的活動が主軸にある僕らってどうなの?と考えさせられる機会にはなっている。全ての人がそれを考える機会なんてなかなかない。

そして、人間が、社会がボロボロになっても、自然は流れるということ。桜は咲いて、つくしはでて、川も流れているし、花は散る。僕らの活動と関係なく、自然は流れる。そして、妻の実家は山に畑を持っているが、そういうところに行くと、全くコロナウイルスの影響なんて感じない。経済活動と隔離されている。でも、僕らは経済活動をせねばならない。生きていくために。人間は社会的な生き物だから。でも、それをやると、ウイルスを拡散させることになるかもしれない。じゃあ、自粛しよう、でも、自粛したら固定費の垂れ流しがはじまる(経営者としての僕)。そしたらあっという間に活動はできなくなる。活動できなくなるの連鎖はおこり、社会の中で経済活動も含めて蓄積されてきた文化は途絶える。じゃあ、ちゃんと商いやらないと!いや、でもそしたら人と人が交流してウイルスが。この堂々めぐりを頭の中でぐるぐると繰り返している。でもでもの連鎖だ。

僕らは、社会的に生かされているし、生きているのだとやはり気づかされる。

どう継続させるのか?どう終わらせるのか?どうもがくのか、もがかないのか?それぞれの決断が日々問われる日々になるだろう。いや、もうそれが毎日行われている。行政から降ってくる要請も含めて。曖昧な言葉の判断をそれぞれが飲み込みながら、何かしら行動を積んでいく、その結果が日々現象として現れてくるだろう。

どうなるんだろう。とりあえずその日にやれることを積むしかない。

本質的な地域文化の継承を。