#8 なぜやるのか?ビジョンはあるのか?結論から言うと、それを考え続けることが答えなんじゃないか。

うなぎの寝床ってなんなのですか?
なぜやってるんですか?
次の計画やビジョンはあるのですか?

最近よく聞かれることです。そのたびに僕は「うーん」と考え込んでしまいます。多分、本当は一緒に働いている人たちのためにも、お客さんのためにも「地域を救うぜ!」的なわかりやすい目標みたいなものを掲げた方が、みんな一緒に取り組みやすかったり、わかりやすかったりするんだと思います。でも、なぜか僕はその決定ができません。なぜなのだろうか?

はじめた動機が不純。まずは、僕は「地域」というわかりにくい枠組みを救うためにこの仕事をはじめたわけではありません。地域に独特の土地性と、そこに面白い思考や技術を持った作り手、そして物が存在していて、僕がそれと接点を持ったことによって、面白いなと思いました。面白いけど、いろんな人に知られてないってなんだか寂しいなーと思って、じゃーそれをまとまって見れる場所があった方がいいんじゃないか?地域に地域のものを見れて発信できる場所があればいいんじゃないか?と考え作ったのがアンテナショップうなぎの寝床です。それがそのまま会社名になりました。

そして、久留米絣のもんぺも不純というか、これも体感の共有という観点で生まれた商品。もともとは、今もんぺ博覧会に参加してくれている丸亀絣織物さんと、野村織物さんが、もんぺを販売しており、広川町の物産館で僕がそれを見た時に「あー、これは履けそうだなー」と履いて見たら、着心地がすこぶる良かったので、これは、世の中に知られていないのはもったいないから企画展をやろう。とはじめたのが「もんぺ博覧会」。一回で終わるつもりが、来年はどうするの?というのが続き、もう8年もやっています。

織元さんの内職さんが、もうこれ以上つくれないという理由から、縫製工場を探し、生地を買うようになり、卸をしてほしいという要望が多く発生してきたために、じゃー卸に耐えれるような商品設計にしないといけないと、オリジナルの生地を開発し、今はうなぎの寝床は半分くらいはMONPEのメーカーとして成立しています。

旧寺崎邸は、いつのまにかうちが入ることで、関係者の中で合意されており、この家賃払えるよね?と持ちかけられ、でもやっぱり町にお世話になってるし、やってみるか精神ではじめ。東京も、建築家soiの2人が誘ってくれてじゃーやってみるかと、やりはじめ。今は、自転車の事業をやったり、沖縄の地域団体商標という特許庁がらみの沖縄総合事務局さんと一緒に動画の制作をしたり、琉球絣組合の方向性を考える仕事をさせてもらったり、佐賀県とニューノーマルという新しい概念を考えたり、マウンテンバイクのプロの山田大五郎さんと、今自転車の事業をはじめようとしていたりと、思いついたままに、その時必要だと感じたことや、降って来たお題をひたすら考え実行するという、毎日筋トレのようにしながら、そしたらやることが増えてきたという感じです。

なんだろう?ビジョンって、正直僕にとってはピンとこなくて。遠い未来のことはわからない。でも、目の前に現れてきた課題や、お願いされたことを、とりあえず自分が持っているキャパは踏襲しながら、思考して実践してみる。それをどれくらいの時間スパンで積み重ねるか?ということを実践し続けているのが現状です。

だから、地域と関わったのも偶然、アンテナショップはじめたのも偶然、MONPEも偶然です。何もかも偶然のたまもの。地域文化商社というのは、その総量が増えてきて、わかりやすく定義しないといけない時期がきたので、地域文化を担保するために商業機能を担います。と話しています。

しかし、結果的には地域のためになればいいな。作り手のためになればいいなとは思ってはいます。でも、それは結果ではあって、目的化したり、そのためにという意識で取り組むとあまりよくないと思っていて、依存関係が開始します。「やってあげてる」という意識になったら終わりだと思っていて、あくまでも僕らは勝手に伝えているのであって、それが結果作り手の方々や地域のためになっているなら、それは良いことかもしれない。そのくらいに考えています。

地域への思い入れという点に関しても、僕はすくなくとも少ないかなと思います。もちろん、作り手の方々とは、個人的にもよく話したりする方々もいるので、個人的な愛着や愛情のようなものは湧いて来ます。しかし、それが強くなりすぎないようにしています。なぜなら客観的な商品判断ができなくなっていくから。愛着がつよければ強いほど、それしか見えなくなり、他の商品や現代の生活動向というのを無視しはじめる傾向があるからです。あくまでも商品は商品として、現代生活に適合できるのか?という視点で見るべきで、時代が変わった時に、それを見極めて転換する必要もあります。

話はあまりまとまりはしないのですが、ビジョンはあるか?うなぎの寝床ってなんなのか?なぜやってるのか?いろいろ聞かれますが、僕がわからないので本当に困ったものです。僕自身本当に困っています。

でも、その答えは、社員である仲間も、お客さんも、作り手も含めて、ものづくりは今後どうあるべきか?お店という形態はどうあるべきか?地域ってなんなのか?現代生活ってどうあるべきなのか?という問いを、更新しつづける。議論しつづけながら、日々活動するということが重要なのではないかな?と感じます。

東洋医学と西洋医学の話をある文章で読みました。会社というのは非常に西洋医学的だなと思います。西洋医学は病気になったら、その原因をつきつめて、つきつめて、細分化して細分化して、そこの原因に対して薬を処方して、解決する。対して東洋医学は予防医学でもあり全体感としてここが悪くなりそうだという、ところに対して漢方を飲んで予防しておくという文章を読みました。正確ではないかもしれませんが、僕の認識としてはこういう理解をしています。

なんだか、会社という概念自体が、この西洋医学的だなーと思っていて「ビジョンはこれです。」では、そのために、これをやって、これをやって、何年計画で、その段取りからすると、今はこれをやらねばならない。僕はいまいちそれがピンときません。

それよりも、未来はこうなりそうだなーという予測と感覚のもと、今はこの辺をやっとかないといけないんじゃないか?という仮説のもと、現代の生活と、自分がやれることと環境において、今やれる事業をとりあえずやってみる。地域において、将来的にこういう機能が必要になりそうだから、ためしに一手打ってみよう。そいう感じで事業をやってます。それが将来的に機能するかどうかはわかりません。しかし、将来的に必要そうだということは、ある意味確信をもってやってます。それが、どう必要なのかは、未来のことだからわかりません。でも、必要そうだと思うからやってみてます。

僕の結論としては、今後の未来は「問い」の時代なんじゃないかなーと、代表が決定して、それを部下が実行する。という時代は終わることはないかもしれないが、幸せな決定にはならないような気がします。みんなで問いを共に考えて、実行する。自分ごととして問う。それが重要なんじゃないかなと思います。答えは解像度をあげていけば、全ての人が違う。それは間違いありません。言語化できる領域、共有化できる領域では同じレベルのものがあるかもしれませんが、みんな必ず違います。その違いを共有しながら「問い」に関して考え続け議論し続けるということが、今後の時代にとって重要なのではないかなーという話でした。おわり。白水

本質的な地域文化の継承を。