お盆。生命を絶った人を思う


表に名前こそ出ないけど
その業界では、間違いなく長年トップの大巨匠だった。
現在では少なくなってしまった、手描きにこだわる職人。
大物監督からの指名も多い、日本人なら彼の仕事を知らない人はいないと思う。

そのクリエイターは、実は2人組のコンビだった。
昔の映画俳優みたいな、素敵なイケジイ2人組・AさんとBさん。

Aさんは、若い頃は血気盛んだったそうで(元ボクサー)
昔を知る人達は、みんなビビッていた。
東京藝大の教科書も作られた方で
各方面から教鞭のオファーが来ていたけど
「描く時間がなくなるから」と生涯現場を離れなかった、大クリエイター。仕事も趣味も、いつも何かを創造されていた。

Bさんは高橋英樹似の、静かな二枚目で
かつて個人として国民的作品(坊や~)の監督もされていながら、
いつもAさんの2歩後ろで、ニコニコ女房役をされていた。

お2人のスタジオが大好きだった。

私の仕事(前職)は作家の家に、原稿を取りに行く編集者みたいなものだった。
私はペーペーで知らない事だらけ、恵まれた事に周りは大クリエイターだらけだったのですっかり麻痺しており、まるで怖いものはなかった。

京王線を降りて2人の事務所に行くと
Aさん「○○さんがくれた美味しいジュースあったよね?」
Bさんが「はいはい、コレかな?」と、美味しい物を出していただきながら
いつも、Aさんと長いお喋りをした。
暗い部屋には、どちらかが仕事のBGMにしている落語が、小さいボリュームで流れていた。

仕事の話はもちろん、別荘で作った彫刻を見せてもらったり
ギョーカイの事、芸術の話、巨匠との逸話、戦後のお話…
おじいちゃんっ子だった私は、あのスタジオの空気がとても好きだった。

夏の終わり。
ある朝社長が「Aさんが亡くなっちゃった…」と言った。

あのスタジオで、自ら生命を絶たれたと。
Bさんが、発見した時にはもう亡くなっていた。

その年の春ごろに、Aさんは目の病気で休業されていた。
数か月後、同業者内で「復帰されたらしい」と噂が広がった。
私はスタジオに、暑中お見舞いを送っていた。
「早くお仕事ご一緒したいです!」と書いて。(無神経だ)
その2週間後くらいのニュースだった。信じられなかった。

本当に悲しかったのは、Aさんがいないと絶対にできないはずの仕事が
Aさんが亡くなった後も、なくならなかった事。
TVでは、あのシリーズもこのキャラクターも変わらず動いていた。
Bさんがお1人で続けられたのもあるけど
どんなクリエイターを失っても、仕事も会社も社会も立ち止まらずに回り続けるんだ、と気づいた事。

だから、どんな仕事の人でも、何よりも自分や家族の人生を大事にしてほしいと思う。

生命を絶たれた理由は誰にも分らない。
私は自分で納得するために、仮説を立てている。

今までに、何人か同じ傾向を持つ天才に会った事がある。
生きてる人、過去の著名なクリエイター、その作品(絵)を見れば分かる。
その人達は「世界の見え方」が、私や普通の人と違うのだ。
ある人は色彩が、ある人は光が、Aさんは恐らくモーションが、私とは見え方が違う。
そして、それをアウトプットする技術を体得している人が
クリエイター・芸術家なのだろう。
ダヴィンチの素描や熊谷守一の絵に、Aさんと同じ「見え方」を感じる。

あの春、そんなAさんの目に異変が起きた。
よく聞く病名だったけど、きっととても大きな喪失だったのだろう。
Aさんは「誰かを育てる暇があったら、最後まで描いていたい」と言っていた人だ。

Aさんはご家族を大事にされていたし、お孫さんもいらっしゃった。
それでも、彼はクリエイターとして亡くなられた。

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