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倫理の境界はどこか - 『不自然淘汰:ゲノム編集がもたらす未来』


去年公開されたドキュメンタリー『不自然淘汰 - ゲノム編集がもたらす未来』を観た。遺伝子組み替えやゲノム編集について、ある程度知っているつもりでしたが知らなかったことも多く衝撃的な内容でした。これはぜひとも全人類に観て、考えてもらいたい作品です。

病気の根絶や誕生する子供の特徴の選択など、遺伝子の編集技術は生物学の枠を超越した可能性を生み出した。この技術に関わる人々に密着し、科学の最前線に迫る。


ーーー この記事はネタバレを含みます ーーー

科学として利用された魔法

私はこの作品を観る前に、たまたまBBCのドキュメンタリー『ハリーポッターと魔法の歴史』という全く別のドキュメンタリーを観ていました。ハリーポッターの作品のモデルになった逸話や伝説、後世に科学として利用された魔法などが紹介されている魔法の歴史を巡るドキュメンタリーで、ハリーポッター好きの私としては非常にワクワクする作品でした。
ハリーポッターの著者であるJ.K.ローリングが「魔法を全く信じない人とはあまり仲良くなれない」と言うように、私もどちらかというと奇跡も魔法もあると信じたい派です。
私が今回観たドキュメンタリー『不自然淘汰 - ゲノム編集がもたらす未来』は、このワクワクするドキュメンタリーとは真逆のような作品でした。私は終始、顔を歪めながら見続けることになりました。

魔法と科学

縄文時代の人がやってきたら、現代人はみんな魔法使いだと思うかもしれない。たしかに、私たちは飛行機を使って空も飛べてしまう。ガスコンロは火を噴くし、蛇口をひねれば水が出る。ところが、飛行機もガスコンロも魔法ではなく、科学技術の結晶にすぎない。魔法と科学技術の違いは一体何なのだろうか?

魔法使いという言葉があるように、魔法とは特別な人だけが使える技だ。ほうきで空を飛び回り、火や水や電気を自由に操れたらさぞ便利だろうが、我々が使いたいと願ったところで、魔力を得ることは不可能だ。

科学技術の最大の特徴は、原則的に誰でも手順さえ守れば同じものを作ったり使えたりすることにある。もちろん、飛行機を作ったり操縦したりするには、膨大な勉強と訓練、ときには身体的な適性が求められるものの、多くの人がそれを達成できる可能性を秘めているだろう。魔法使いのように特別な血筋である必要は決してないのだ。 

ー引用元「魔法と科学技術の違い

Google検索で「科学 魔法」で検索すると、京都大学理学研究科・理学部の生徒が書いた文に辿り着いた。上記はその引用である。(科学的なものと科学的でないもの、それを分けるものは何であるかを600文字以内で書くという科学ライティングの教育プログラムの一課題のようです。)
自分の中で「魔法」と「大学」という単語が繋がるのは空想世界だけの話だと思っていたので、まさか京都大学の学生が魔法について語っている文書があることにテンションが上がった。この文章では魔法は結局血筋がないと使えないといった言い分(別にそれがこの文の論旨ではない)だが、ゲノム編集とはそんな血筋すらも無理やり変え、その改変した遺伝子を後世にも残すこともできてしまうような技術である。

SF作家(アーサーCクラーク)は「高度に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」と言った。現代の高度に発達しすぎた科学は、ついに新人類を不自然に創りだすところまできている。これはもう魔法や奇跡を超えて、神の領域の話のように聞こえるかもしれない。

ガンダムSEED、X-MENのような話は空想じゃなくなる

ガンダムSEEDの世界では「SEED」という未知の突然変異遺伝子をもつ主人公が登場するが、ゲノム編集の技術を使えばそういう特殊な遺伝子も他人に移すことが可能になります。パラリンピック、オリンピックの他に、遺伝子調整をして特別優れた能力をもった人間だけが参加するコーディネーターピックなるものができるかもしれません。
長い爪を持つ動物の遺伝子を使えば、ウルヴァリンのような出し入れ可能な爪を持った人ができるかもしれないし、筋肉増強のゲノム編集をすればハルクのようなムキムキになることも可能です。まさにX-MENのような人間が誕生します。これらのことが空想ではなく、現実味を帯びはじめてきたのです。想像よりもかなり近いうちに、これらのことは空想ではなくなるかもしれません。それを可能にしたのが「CRISPR-Cas9」です。

バイオハッカー

自分が作中で一番驚いたのが、これらゲノム編集の実験がラボではなく自宅やガレージで行なわれている例があるということでした。そういった人たちはバイオハッカーと呼ばれています。CRISPR-Cas9のおかげで遺伝子工学は劇的に効率が良くなりました。バイオハッカーはこの技術が富裕層だけに与えられるものになってはならないと考え、誰もが平等に扱えるように遺伝子編集キットの販売まで始めた。Youtubeで実験方法を閲覧することもでき、実際に改変したゲノムを注射するところをライブで配信している映像は衝撃的すぎて、観ていて思わず顔を歪めてしまった。バイオハッカーは、序盤ではかなり異端な存在として映し出されている。

この動画のなかで彼は筋肉増強に関する遺伝子操作をしたDNAを自らに注射してみせる。これは彼自身が発信しているyoutube動画で全世界の人が閲覧可能である。

倫理の境界はどこか

このドキュメンタリーを観ていると、倫理や道徳の境界がどこかという問いが常に頭をぐるぐると回り続ける。

サイドエフェクトがわからない中で実施することは危険がありそうだと表面的に感じる反面、もし自分の大事な人が遺伝的な疾患で死を待つしかないという状態になって、それが治るかもしれない可能性があるのに、その治療を受けるのに莫大な金がかかってできない、あるいは規制があってできないとしたら、私だってバイオハッカーになって研究を始めるかもしれない。

遺伝的疾患で不妊に悩む夫婦が第三者のミトコンドリアDNAを使うことで3人の遺伝子を持つ子供を誕生させた。自分の産む子供の目の色や性別を選択することができるクリニックも世界にはもう存在している。禁止されている国もあれば禁止されていない国もある。

国際会議で現段階においての境界を設定するとしても、今後人類にとって有用と判断されれば、その境界はどんどん変わっていくはずだ。

人類は神さまですか

倫理の境界を探る中でRadwinpsの「おしゃかしゃま」の歌詞が頭をよぎる。

カラスが増えたから殺します
さらに猿が増えたから減らします
でもパンダは減ったから増やします
けど人類は増えても増やします

マラリア撲滅のために遺伝子改変したネズミを放てばマラリアは撲滅するが、ネズミは未来永劫その改変された遺伝子を代々残し続ける。
ゲノム編集により人類が選択した種族を駆除どころか一匹残らず撲滅することもできる。どの種族を生かし、どの種族を滅ぼすのか。この歌詞よりも事態はもっと深刻で急速に進んでいて、人類はもうとっくに神様の領域に足を踏み入れている。

もう止まらない

この誕生してしまった技術は、どんな規制があったとしても、もう止められないと感じる。倫理観の違いによって規制が緩い国もあり、すでに人はそこに流れている。世界から病がなくなる可能性や人類が次のステージにいける可能性が目の前にあって、それを研究する欲求は誰にも止められないだろう。医療としての研究が表向きで進んでいく裏で、世界的には倫理的にNGとされているヒト胚への研究が進んでいることも十分にあり得る。人の強化や拡張の実験が密かに進んでいるかもしれないと考えると、この技術について何も知らないでいることには恐怖すら覚える。

このあたりは見事に製作者が意図した通りの想いを抱かされた。製作者は急速に進むこの技術について、技術関係者と一般人とのギャップを埋める必要があると感じたと話している。

私がこの作品で抱いた一番の感情は「恐怖」だったが、勿論この技術がもたらすものは悪いことばかりではないことも十分にわかった。良い面も悪い面も含め、この技術に対する関心はその恐怖心を触媒にして急速に高まった。

人類の決断

このドキュメンタリーの面白さは、ゲノム研究をする人々や、それを享受する人、反対する人と、様々な目線から映されているところだ。1話から4話まで色々な例が示され、視聴者は常に新世界についての想像をさせられ、多角的に捉えることを強制的に仕向けられた構成になっている。私はそれにまんまと翻弄されてしまった。終始、嫌悪感で顔を歪めながらも、その嫌悪の種類や矛先は変わっていった。

日本では遺伝子組み替え食品の表示義務はあるがゲノム編集食品については食品表示義務がないのが現状だ。遺伝子組み換えも5%未満なら「遺伝子組み換えではない」と表示できてしまう(23年に厳格化予定)。すでにそういった食品を口にしている可能性もある。

近い将来に遺伝子に関する話題はもっと頻繁に耳に入るようになるだろう。あらゆることが一変する可能性があるこの技術のことを全く知らずに、その時に在る社会の道徳観や倫理観で未来が選択されてしまっていいのだろうか。このドキュメンタリーを全人類が見て新世界を実感し、考えてみてほしい。

作中の冒頭で紹介されるチャールズ・ダーウィンの言葉をメモしてこのnoteを終わります。

If you had an idea that was going to outrage society, would you keep it to yourself?
社会を揺るがすアイディアを持っていたら隠しておきますか?
If the misery of the poor be caused not by the laws of nature, but by our institutions, great is our sin.
貧乏人の悲惨さが自然の法則ではなく制度によるならその罪は重い
In the long history of humankind (and animal kind too) those who learned to collaborate and improvise most effectively have prevailed.
長い人類史(動物史)の中、強調し適応したものが最も効率よく進化した
From so simple a beginning, endless forms most beautiful and most wonderful have been, and are being, evolved.
とても単純な起源から最も美しくてすばらしい形が永遠に進化し続けている

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