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【日記】明日への『希望』

こんばんは😃

noteを始めてから4度目の投稿になります。
実は、書いていた下書きがスマホで更新されてしまい消えてしまったので投稿が遅くなり1週間ぶりの投稿です。(*꒦ິ꒳꒦ີ*) ←泣き顔(笑)

皆さま、私の勇気入りの投稿に早速♡スキしてくださったりフォローしてくださったりとありがとうございます!本当に嬉しくて感謝しております😊✨

ところで、とある方の記事の中に「自分が思っている以上に人は見ていないから安心しろ」という様な言葉を見つけて思わず笑ってしまいました。
そうなんですよね~、勇気を出して投稿してもあまり人目に付かないのが現実ですな(´;ω;`)笑、なんて思いながら時間を見つけて記事を読ませていただいています☺
それで思い出したのが『#note感想文』なのですが…
私、勘違いしてたかも笑。
「他の方の記事を読んだ感想を書く」という企画なのですが、「自分がnoteを始めて利用した感想を書く」みたいに勝手に思っていました…公式ページを見たら、そういう事?って今更な私です…笑。

☝これです💡✨(表示されてるかな?)

この様に(☞゚ヮ゚)☝
noteの投稿も少しずつバージョンアップさせていきたいと思います!
『毎日投稿』には及びませんが、私なりのnote活用術を見つけながらこれからもnote生活に勤みたいと思います!
皆様のnote生活が有意義なものになる事も願っております☺

というところで!
これからもどうぞよろしくお願いいたします♪🙇‍♀️

**********
『明日への希望』~子供の明日を考える~


大人はどうして子供の頃の気持ちや想いを忘れてしまうのだろう…

何も知らずに産まれた赤子は見える世界だけが全て。
世話をしてくれる人だけが全て。
その人が教えてくれたことだけが全て。
周りにいる人達だけが全て。

疑うことを知りません。

ただひたすらに前を向き、何かを吸収しようと大人を見上げて真剣な眼差しを向ける。

信じる事しか知らずに。


『純粋な心』


私は自分の事を子供だと思うことが良くあります。子供、二人もいますけど…笑。
勝手な持論ですが、『大人になっても子供の心を忘れるな』これって物凄く大切な事だと子供の頃から思っていました。

『なんで大人って子供の気持ちが分からないのだろう?』

幼い頃から良く思っていました。
大人は子供に見られている事すら忘れるのだろうか?
私がこんなにも耳をそばだてて隣の部屋の大人たちの会話に聞き耳を立てているのに。子供に聞かれているかもしれないって事すら忘れちゃうんだね。
子供の頃に自分だって思わなかったのかな?『寂しい』って。
気持ちを分かってもらえない事が寂しいって思った事無いのかな?
自分が凄いと思ったことを見ようともしてもらえない事が孤独だってこと知らないのかな?
それとも忘れちゃうのかな?
大人になったら忘れちゃうのかな?『こんなこと』
こんなに大切なこと忘れちゃうのかな~?

私は嫌だ。忘れたくない。
大人になったら教えてあげよう。

『子供には教えてあげるんだ』

どこが素晴らしいのか教えてあげよう。
好きな事を好きだと言う事は大切なことだと教えてあげよう。
自信を持つことが大切だと教えてあげよう。

本当に悲しい時には私みたく独りで泣いていてはダメ。
諦めるしかなくなるから。
どうせ聞いてくれないから仕方がない。
諦めてしまうようになるから。
それでも私みたいに性懲りもなくしつこく聞ける性格ならまだマシだけど。
そんな事してたら本当の気持ちが言えなくなる。
子供は本当の気持ちを言えなくなる。
だから寂しくなるんだよ。
だから分からないんだよ、こんなことも。

『子供の気持ちが分からない、見ようともしない大人が子供を分かるはずがない』

子供が何に傷つき何を知ってもらいたいのか何を褒めてもらいたいのか信じてもらいたいのか分かる訳がない。

私は認めてあげるんだ。
産まれたままの全てを。

聞いてあげるんだ。
何が寂しくて悲しいのかを。

信じてあげるんだ。
これから起こる事の全てを。

忘れないんだ。
この子供の頃にこう想ったことを全て。


『子供の気持ちが分かる大人になるんだ』


そう思いながら幼少期から今日までを過ごしてきました。

自分に子供が出来たなら…
大人になって子供に接する機会があった時には…

子供が大人に気軽に相談できる様な関係を築いていこう。
本当に困った時には私がいることを忘れさせてはいけない。
愛情は惜しみなく伝えてあげよう。
産まれたままに感じたことを聞いてあげたい。その世界を見てみたい。
先入観を植え付けない様に気を付けながら。
見たまま感じたままの世界を聞いてあげよう。
その子のことを知りたいから。



『産まれたままの感性を認めてあげるこが大切』


大人になり、親になった私が子供と接する時に気を付けてきたことは「先に話を聞くこと」です。
何も知らない子供にモノを教える事は親の務めであり大人の務めです。
産まれたばかりの赤ちゃんは何も知らずに産まれてきます。
当たり前の事ですが。

例えて言えば白いキャンバスに何色を塗るか?
みたいな話はよく耳にするかもしれません。

親が子供に必要な知識を与える事は大切ですが、そこに余計な雑念は必要ないと私は思っています。

『言葉』は教えるだけのモノ。

それを見て何を感じるのかはその子の感性。

言葉があれば伝えられる。

何が大切で何が必要で何を素敵だと感じる事ができるのかを伝えることが出来る。

何が嫌で何が寂しくて何を不快だと思うかを伝えることが出来る。

『やめて』と言うことが出来る。

間違っていると言うことが出来る。


何を感じるのかはその子の自由。
間違ってはいけないのは自由の意味だけ。

大切なのはその子の感性。


大人が全て正しいだなんて思ってはいけない。

子供の心は純粋だから。

子供が間違っていたなら自分を見つめ直してみよう。

私がそうなのかもしれない。

子供の鏡は大人だから。


もしも、限りの無い明日が来るとしたら子供達の肩の荷が重たくなるでしょう。

私たちの時よりももっと大きな難題を抱えて生きていく子供の肩の荷は重たい。

けれども、少しでも肩の荷を軽くしてあげる事が出来るのが大人。
それが私たち大人が子供たちにしてあげられる最後の仕事だとも思う。

明日という希望があることを未来ある子供たちに教えてあげたい。


あなたは素晴らしいと伝えたい。
あなたには笑っていて欲しい。
独りになったらダメだよ?

明日には希望が見えるさ。

あなたという希望の光がある限り。

力強い生という灯りをともしながら。

歩いて行こう希望に向かって。


『希』

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