見出し画像

ハコオンナ


わたしの仕事場は
とある小さな駅の売店である。
ひとりに ぴったりの小さな箱は
慣れると非常に居心地が良い。
一番効率的な美しい商品の並べ方を考え
内部も自分が過ごしやすいように
試行錯誤しながらカスタマイズしてゆく。
わたしは この箱に守られながら
毎日毎日 小さなものを売って過ごしている。

仕事が終わると
ひとまわり大きいとはいえ
やはり小さな箱のような家へと帰る。
大きな空間は必要ないのだ。
寝心地のいいベッド。
寛げるバスルーム。
これさえあればいい。
ぴったりと自分に沿ってくれる箱。

今日も また箱から箱へ。
同じ道を行き来する。

毎日 楽しみにしている薔薇の花の咲く家。
昨日は蕾だった薔薇が 美しく咲き誇っている。
立ち止まって写真を撮る。
自分の箱の中に収める。
お気に入りは この中に。
いつでも取り出して眺められるように。

✴︎

ある日の帰り道。
いつもの道を いつものように歩いていると
泣きじゃくる赤ん坊を抱えた女性がいた。
わたしは足を止めた。
その女性の後ろは 薔薇の花の咲く家で
トロンとうな垂れた哀愁の薔薇が見えたので
その姿を写真に撮ろうと思ったのだ。

赤ん坊は全身全霊で泣いている。
戸惑いながらも近づいてカメラを構えようとすると
「ほーら、写真だょー、笑ってー」
赤ん坊を抱いた女性が言ったので わたしは慌てた。
「あの、薔薇を、」そう言って 薔薇を指差した。
「あぁ、すいません」と女性が気づき
慌てて場所を移動しようとしたときだ。
赤ん坊は 急に ぐわんとイナバウアーのように
思いっきり のけぞったのだ。

「わっ…」
咄嗟に支えた頭は小さくて
髪の毛はフワフワと頼りなかった。
ミルクのような
どこか甘酸っぱい匂いが ふわりと鼻を撫でた。

「すいません。ありがとうございます。
母親がいないと ずっと泣き続けるから
もう1時間以上この調子で…
そろそろ疲れて眠るかと思ったんですけど 全然…」
ひとりで奮闘していたのだろう。
話し相手を見つけたとばかりに
女性は話しかけてくる。

赤ん坊を 恐る恐る覗き込む。
こんなに近くで赤ん坊を見るのは初めてだ。
赤ん坊は 勢いを増して泣いている。
顔を真っ赤にした赤ん坊の澄んだ目から
涙が次から次へと溢れてくる。

「写真、いいですか? 」
「どうぞ」

わたしは夢中で写真を撮った。

黒目がちな目から溢れる涙。
力んだ手。
汗ばんで濡れた髪。
小さな口から覗く舌。
桃のような頬。

ひとしきり撮って我にかえると
「写真 好きなんですか?」と聞かれた。
「いえ、自分で見るだけのための、それだけです。」
「子どもって飽きない被写体ですよね。ほんと。
こんなに泣き続けられると参るけど、まあ、
母親以外は みんなコレなら
わたしには どうしようもないし。
あ、姉の子なんです。ちょっと そこの病院に。
その間 預かってて。」

「ごめーん」
母親らしき女性が 小走りで近づいてきた。
「あー、もー」
女性は 心底ホッとした顔をして 赤ん坊を渡す。
「あー、明日 筋肉痛になりそう…」
「ごめんごめん。あー ハイハイ。ごめんねー。」
母親に抱かれた赤ん坊は
ほんの しばらく しゃくりあげていたが
先程の号泣が嘘のように すんっと泣き止んだ。

そして笑った。涙の残る瞳で。
この世の一番の幸せを手に入れたみたいに。

わたしは、思わず 写真を撮った。

母親が驚いた顔で こちらを見た。
「あ、この人、
一緒に たーくんのこと あやしてくれて。」
女性が説明する。
「あー、そうなんですか。ありがとうございます。
あの写真は…」
「あ、わたしがいいって。ごめん。だめだった?」
母親は困ったような顔で わたしを見た。
「あ、あの 個人的に見るだけで。どこかに載せたり
絶対しません。約束します。あの、絶対に。」
わたしは必死に訴えた。
せっかく手に入れた宝物を奪われたくなかった。
「いえ、すいません。
あなたを疑うとかじゃないんですけど。
いろいろ敏感になってしまって。」
母親は わたしを真っ直ぐに見た。
わたしも 彼女を真っ直ぐに見返した。
母親は わたしを信じてくれたようだった。

ふたりは赤ん坊を連れて 去っていった。
わたしは その後ろ姿が見えなくなっても
しばらく立ち尽くしていた。
薔薇のことは すっかり忘れていた。

ふらふらと ひとり家に帰ってからも
あの赤ん坊の姿が忘れられなかった。
まだ泣き声が耳に残っているようで。
心が落ち着かなかった。

✴︎

それから
赤ん坊のことばかり考えていた。
あの子の写真を 何度も何度も飽きずに眺めた。

あの小さな手で しがみつかれたら。
わたしがいないだけで
この世の終わりみたいに泣いて
自分のすべてで求めてくれる存在。

欲しい。

そう思ったとき
わたしは激しく動揺した。
わたしから そんな願望が生まれるなんて。

箱から箱への生活に何も不満なく
このまま日常は続くと思っていたのだ。
彼氏もいないし 結婚したいとも思わない。

ただ 子どもが欲しい。

その思いは日に日に強くなってゆく。
こんなに強く何かを求めたことは あっただろうか。

この箱の中に赤ん坊を迎えることを想像する。
ちょっと狭いけれど
在庫をすべて外に置き場を作れば
赤ん坊の居場所が作れるのではないか。
本屋で育児の本を買った。
必要なものは何だろう。
想像は楽しく飽きることがない。
やがて行動に移し
売店や家を 赤ん坊仕様にカスタマイズし始めた。
いつでも赤ん坊を迎えられるように。
少しづつ でも確実に 箱は整えられていった。

さて 次は何をしよう。
赤ん坊を迎えるために。

ちょうど そのとき
同窓会の お知らせが届いた。

これだ。これしかない。

運命を感じた わたしは
成人式以来
1度も行かなかった同窓会に出席することにして
そのための準備を始める。

まったく興味がなかった
自分の外見を人のために整えること。
それは 自分の心地良さではないから。
主に男性との人間関係を円滑に進めるためのもの。
赤ん坊を手に入れるためならば。

美容院にゆく。
女らしい服を買う。
デパートでメイクを教えてもらい
そのまま一式購入する。

元来 目標があれば
なんでもコツコツ努力する性格だ。
成果も目に見えてきて 楽しくなってきた。
売店でも男性からの態度の変化を感じる。
めんどくさいのでマスクを着用して顔を隠す。

父親は あの人しか いないから。
高校時代に好きだった あの人。
あの失恋以来、わたしは恋をしていない。
彼の子どもがいい。
彼に そっくりな子どもが わたしを求めてくれる。
それは このうえない 素晴らしい考えだと思えた。

✴︎

ついに 同窓会の日がやってきた。
わたしが誰だかわからないのだろう。
そんなに仲の良い子もいなかった。
みんな 曖昧な笑顔で離れてゆく。

彼の目が わたしを捕らえ しばし記憶を辿り
ゆっくりと見開いた。
「見違えたょ。誰かと思った。」
わたしは 微笑む。

そう。
わたしは彼と 付き合っていた。
ハズだ。
誰にも内緒で 文通をしていた。
わたしが彼に手紙で告白をしたら 手紙で返事がきて
そこから文通が始まった。
学校では ほとんど話さず 手紙でやりとりをする。
たまに目が合うと かすかに微笑んでくれて
そんな瞬間が たまらない幸せだった。
受験が忙しくなり 手紙の間隔が開き始め
やがて 途切れた。
待っても待っても手紙は来なくて
そのまま卒業式を迎えた。
希望の大学に進むことになった彼も わたしと同じく
地元を離れて東京にゆくはずだった。
勇気を出して 初めて手渡した手紙。
新しい東京の住所を添えて。
また手紙待っています。と。
結局、一度も手紙は届くことはなく、
成人式で帰った際に
上京して すぐに 歳上の女性との間に子どもができ
大学を辞めて働くことになったらしいと噂で聞いた。

父親になる。社会人になる。
よくわからなかった。
わたしの恋は文通で止まってしまったままで
そんな急に 大人の現実世界に行ってしまった彼には
会うことはなかった。


現実世界の大人になった彼。
父親である彼。夫である彼。
不思議な気持ちで隣に座る。

「今、なにしてるの?」
彼は聞く。
手紙ではなくて。
直接 会話をしている。
耳元の声が 聞き慣れない。
わたしは戸惑っているのに
彼は まるで普通のように
昔から そうだったかのように話をする。

そして 同窓会の終わり際に
「ちょっと飲み直さない?」と囁いた。

✴︎

わかっていた。
彼は もう わたしの記憶の中の彼じゃなくて
普通の おじさんで。
早くに結婚して  いろいろあったんだろうけど
きっと今 幸せで。
ちょっとだけ羽目を外したいと思っていたりして。
そんなところに現れた わたしは
まさに都合のいい女だった。

たぶん、そうなるだろうと わかっていた。
だからこその計画だった。
わたしも 昔のままじゃない。

あんなに好きだった彼とのセックスは
子どもを手に入れるためだけのもので。
わたしは そればかり考えていた。

行為が終わると
彼は感慨深そうに わたしを抱きしめた。
ずっと忘れたことはなかったと。
また 会いたいと。

心が 一瞬 クラリとした。

だけど。
メールのアドレスを教えたのは
今回 子どもが出来なかったときのためだ。
子どもが出来たとわかったら
さっさとアドレス変更してしまえばいい。

✴︎

さあ。
早く あの居心地のいい箱へ帰ろう。

新幹線の窓に映る ハコオンナは
別人のような顔をしていた。







サポートしていただけたら とっても とっても 嬉しいです。 まだ 初めたばかりですが いろいろな可能性に挑戦してゆきたいです。