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今。この瞬間ほど珈琲を欲することはない。


ままならないことがあった。
空は爽やかに晴れ渡っているのに
重たい雲に覆われてゆきそうな心を
立て直したかった あの日。

今だ!と思った。

珈琲が飲みたい。
これほど 心が珈琲を欲する瞬間は
そうないのではないか。

そう思った わたしは
美味しい珈琲を求めて歩き出した。

確か 駅の反対側に
焙煎もしている本格的な喫茶店があったはず。
かなり歩くけれど
今は 心から 美味しい珈琲が飲みたくて。
一目散に向かい 吸い込まれるように入った。

活気がある店内。
店員さんの顔も引き締まっている。
店内も埋まっているけれど
珈琲豆を買いに来るお客さんが
ひっきりなしにやってくる。
常連さんも多そうだ。

珈琲を淹れているのは恰幅のいい おじさん。
ネルドリップだ。
期待が高まる。

深煎りのグァテマラとベイクドチーズケーキ。

香りを楽しんでから ひと口。

うん。抜群に美味しい。

ふうっと 息を吐く。

心が
心地の良い場所に
ストンと落ちついた。

わたしが わたしに戻ってゆく
かけがえのない時間だった。


✴︎

昔 密かに憧れている お客様がいた。
短めボブスタイルで
たいていは モダンな着物姿でやってくる。
眼鏡を取り出し 読書をしている姿が
とても知的な女性だった。

そんな彼女が ある日
いつもとは違う 朝の時間帯にやってきて
珍しくカウンターに座った。
オーダーも いつものカフェオレではなく ココア。

ペーストから作る特製のココアを 鍋で温める。
厚手の薔薇の模様のカップに 並々と注ぎ
生クリームを浮かべ  ブランデーで香りを添える。

控えめに ふうふうと冷まし ひと口。
「おいしい」と呟いた彼女と 目が合った。

「なんか、会社行きなくなくて。
 午後からにしちゃいました。」

彼女は ふふっと笑いながら 首を竦めた。


彼女は しばらく 本を読んでいた。
甘い甘いココアを
ゆっくりと時間をかけて 飲み干して
彼女は立ち上がった。

「そろそろ いかなくちゃ。」

わたしは
できるだけ さりげなく
だけど    祈りを込めて 言葉にした。

「いってらっしゃい」

そのときの彼女の顔を わたしは忘れない。

この仕事をしていて よかったと心から思った。

この空間が
わたしの作ったココアが
彼女の避難場所に ほんのひととき なれた。

求められることで 救われたのは
わたしだった。


✴︎

わたしたちの仕事は
喫茶店というものは
「不要」である とは思わないけれど
「不急」なのではないだろうか。

そんな思いが よぎることもある数ヶ月だった。

それが悪い、ということではない。
喫茶店を楽しむ 心の余裕が
わたしが喫茶店を好きな理由でもあるから。

でも。
どうしても 「今」!と
心が渇望する瞬間もあるのだ。

そして どうしようもなく 救われる。



✴︎

なんとか 少しづつ
仕事に復帰している。

大切に 感謝して 身体を動かす。

身体が覚えていると
任せっきりになっていた動きを
もう一度 見直している。

負担にならない動き方。
歪まない姿勢。

長く続けるために 手に入れたいもの。


焦りたい気持ちを なだめながら
目の前の一歩一歩に集中する。
その間は 不安を感じないでいられるだろう。

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