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自分勝手な人間たちは



元気のない薔薇と一緒に
部屋で過ごしている。

ふにゃん としている。

✴︎

近年 最も身近な花は 薔薇だ。
働いている喫茶店に
1年のうち数ヶ月を除いて ほぼ毎日 薔薇が届く。

今は 夏の薔薇の全盛期。
お花屋さんの薔薇は お行儀よく感じられるけれど
個人で育てられている彼女たちは 個性豊かだ。
項垂れていたり、そっぽ向いていたり、
葉が茂っていたり、茎が曲がっていたり、
大きな華やかな子も、小さく可憐な子も、
甘みの深い香り、爽やかな香り、
刺も元気に尖がっていて
みんな一緒に バケツに入れられて やってくる。
満員電車以上に ぎゅうぎゅうに詰め込まれて
絡まり合って悲鳴をあげながらも 華やかだ。

通常の業務の合間に 生ける。

どの花瓶が合うだろうか。
どの組み合わせが いいだろうか。
きのうの この子は もう引退だろうか。

花と向き合うのは楽しい。
つい夢中になってしまう。
バランスよく 美しく 生き生きと
店内を飾れたときには
とても嬉しく わたしは とても満足する。

あまりにも たくさん届くと
自分のキャパシティを超えてしまうのか
くらくら してしまうときもある。
昨日は そんな日だった。
連れて帰ってあげたかったけれど
まっすぐ帰宅できない日は
道中に耐えられないのではと諦めた。

✴︎

帰宅すると
先日連れて帰ってきた薔薇が
くたん、と下を向いていた。

お店の場合は すぐに片づけるのだけれど
家では しばらく このまま眺めていることが多い。

薔薇の育ての親である男性は
いつも同じ カウンターの隅の席に座る。
そこには その日 1番の器量よしが
アンティークの一輪挿しで飾られることが多い。
社長から 薔薇のお礼にと
彼専用の珈琲カップが用意されている。
美しい薔薇が描かれた 高級なカップだ。

彼の好意のおかげで
喫茶店は いつも美しい薔薇で彩られている。
こんなに贅沢なことはない。
それを楽しみにしている方たちも たくさんいる。
わたしも薔薇は大好きだけれど
どうにも 心に ひっかかってしまうことがあるのだ。

ちょっとでも盛りを過ぎて
開いてしまった薔薇が飾られているのを見ると
彼は露骨に顔をしかめるのだ。
「みっともない」と。

はっきり きっぱり 大人げなく言ってしまうと
わたしは その様が 大嫌いだ。

飲食店に生花を飾る場合には
清潔感を損なわないように、というのは
重々 承知はしているし、気をつけてもいる。
シーズンオフに花屋で購入した薔薇は
長持ちさせるための肥料でも吸わせているのか
何日も変わらずに咲き続けていて
造花なのかと思ったほどだったけれど。
朝には まだ張りのある花びらが
昼過ぎには ゆたりとなって綻びていることは
よくあることなのだ。
それに わたしの判断で言えば
まだまだ店内にふさわしい美しさは備えている。
他のスタッフは
「まだ全然綺麗ですょー」なんて
さらりとかわして気にしないけれど。
わたしが どうしても引っかかってしまうのは
彼と同じように
気に入らないことを流せない性質だからなのかと
そう気づくと逃げ出したい心地になる。


この年齢になったからだろうか。
蕾も 咲き誇る花も 好きなのだけど
散りゆく様や 朽ちゆく様に
心を奪われるようになっていた。
勝手に自分を花と重ねているのか。
この先の人生を肯定していきたいのか。

次から次へと 新しい薔薇が運ばれてくるときには
まだ…と思うものも 捨てざるを得ない。
せめてもと「ありがとう」と心の中で 伝える。
これも仕事なのだから。

そう。
働く人も 薔薇も 客も
ここでは ある程度の張りを保たなければならない。
ゆったりと ぐったり は違う。
家と同じように寛ぐわけにはいかないのだ。
ある程度の人目を気にした 張りのあるリラックス。
それが喫茶店の よいところ。


わたしにとっての家は
ウキウキもグダグダも なんでもありなので
薔薇が萎れてきても しばらく そのまま一緒にいる。
ドライになってゆくものもある。
美しいとばかり思っているわけではないけれど
カメラを向けると趣深く夢中になったりもする。
くったりしている姿を 愛しいと思う。
きっと それは わたしの願望。

母の言葉を思い出した。
萎れた姿で晒されるのは「かわいそう」だと。
そう言って こまめに花を変えていた。
「ドライフラワーは 花のミイラじゃない」とも。
見苦しくなると嫌だからと
入院する前に美容院に行った母。
母の心の張りの ありどころを思う。


美しさの盛りだけをを
たくさんの人に愛でられたいのか、
誰に知られずとも 切り取られなんかせずに
咲いて散って 土に戻るのが いい一生なのか、
萎れても枯れても美しいと いつまでも飾られ続け
写真に撮られたりすることを嫌だと思っているのか、

本当の気持ちは わからない。

わたしたち人間は
自分勝手に 育て 愛で 捨てる。
それぞれに なにかを託し 一緒に過ごす。

それだけなんだな。


✴︎

わたしと一緒に過ごしてくれて ありがとう。








サポートしていただけたら とっても とっても 嬉しいです。 まだ 初めたばかりですが いろいろな可能性に挑戦してゆきたいです。