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もういない君と話したかった7つのこと #44

あとがき


 いかがでしたか。
 読み返してみると、これはなんだか奇妙な本です。
 エッセイなのか、実用書なのか、それとも思想書なのか、あるいは私小説なのか、自分でも良くわかりません。
 最初に述べたように、この本は、生きることが不自由な、内向的で悩みを抱えるKのような読者が読んで、少し楽になれるような本を目指しました。
 書き終えてみると、なんだかいつもの自分の本とはかなり違ったものになっている気がします。
 必要とするどこかの誰かに、うまく届けばいいのですが。

 僕も、思春期には毎日意味もなく憂鬱で、死にたくてたまりませんでした。
 そんな自分を救ってくれたのは「○○」です……と、なにか言えればカッコいいのですが、明確に、なにかがあったわけではありません。
 アニメ、マンガ、ゲーム、映画、音楽、本、いろいろな文化や娯楽をつまみ食いしながら、ただ、気づいたら死んでいなかった。
 それだけなのです。
 出会って間もない頃、「死にたい」というKに、僕はまず本を読むことを勧めました。
 僕は思春期の頃に、図書館でこう思ったことがあります。
 ──この世界には、まだ自分が読んでいない本が無数にある。だとすれば、その中の1冊に自分の人生を変える、とてつもない本が存在している可能性は否定できない。
 鉱山を掘るように、たくさんの本を読みましたが、そのほとんどは、身に付かないうちに記憶から消え去ってしまいました。
 小学校レベルの勉強しかしていない怠惰な人間が、知識を体系化せずに、無目的に読んでいたのですから当然です。
 それでも、時には信じられないくらい興奮する本に出会うことがありました。
 そんなとき、人を救える本というのがどこかに存在しているかもしれない、などと思ったりしました。
 Kに、そんな話をすると、彼にはあっさりと、
「本なんかで救われるわけないじゃん」
 と言われてしまいました。
 しかし、何年か経って別の機会にKはこう言いました。
「映画や音楽も好きだけど、ひとりでいるときに小説を読むのが一番落ち着くよ」
 本との出会いは、人との出会いと同じです。
 会うタイミングによって、受け取れるものが違うのです。
 おそらくKは、その人生において、1冊は、いい本に出会ったのだと思うのです。
 それが一体どんな本だったのかはわかりません。
 でも、確かにそれは存在したのです。
 これは生きるに値する事実です。少なくとも、僕にとっては。

 本書では様々な「自由」について考えましたが、前向きばかりが強調される世の中は非常に不自由です。
 後ろ向きを選んで生きる自由を認めてもいいのではないでしょうか。それは世を恨んだり妬んだりする生き方ではなく、しずかな自由のなかで充実した孤独を味わう生き方です。
 どんな生き方であっても、誰かを救う可能性はあるのですから。
 前向きな癒しの言葉が多い昨今ですが、癒しではなく、痛みが人を救うこともあります。
 傷ついている人に寄り添えるのは、同じ傷を持っている人だけなのです。
 今、傷ついて絶望している人こそ、いつか誰かを救えるのです。
 あなたの存在は無意味ではないことを忘れないでください。

 生前にKと話したこんなことを思い出します。
 なんだかもう疲れてしまい、
「読んだ人間全員が死んでしまうような最悪の小説を書きたい」
 そう言った僕に、
「人を殺せるような力なら、人を生かせるはずじゃない。なんでそれを目指さないの?」
 そう言いました。
 ひねくれているくせに、たまにそういう前向きなことを言うこともあったのです。
 この本は小説ではないけれど、Kが言ったように、誰かの憂鬱な気分を少しだけ軽くするような本になってくれていれば、約束が少しは果たせたかなと思います。

 最後に、Kのご家族の方に感謝を。
 不思議なもので、この本の本文のラフを書き終えたとき、ちょうど1月18日で、Kの誕生日でした。
 ただの偶然といえば偶然ですが。





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