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もういない君と話したかった7つのこと #42

めろん 末井さんはこういう本を出されて、自殺したい人から相談をされたりしませんでした?

末井  ひとり、ホームページ経由でメールを送ってきた方がいるんですよ。「私は自殺をするつもりでいます」で始まってて、『自殺』を読んでぼくに興味を持ったと。自殺を止めてもらいたいわけでも、励ましてもらいたいとも思ってないと、「死ぬ前にコミュニケーションを図りたかっただけです」って書いて終わってたんです。

めろん お会いになったんですか?

末井  いや、そのときはどこに住んでるかも、年齢も性別もわからなかった。だからぼくは、自殺に対して自分が思ってることを書いてメールしたんです。そうしたら返信がきて、何回かメールでやりとりしているうちに、その人が女性であるとか、住んでる場所とかがだんだんわかってきたんです。ぼくが送るメールは、昨日は何をしたとか、今日は寒いとか、ごく日常的なことだったんですけど、その人が望んでいたのはコミュニケーションだから、そういうことでいいのかなって。

めろん 内容じゃなくて、「誰かとコミュニケーションする」ということ自体が気分を軽くしてくれるということはありますよね。

末井  そうだと思います。だいたい一人で悶々としている人が多いですから。いま目の前に「自殺したい」っていう人がいたら、めろんさんならどうします?

めろん 自殺する人といってもいろんなタイプがいますよね。昔は話してなんとかできるとか思ってたんですけど、最近、それも無責任だなって感じるようになりました。ぼくは専門家じゃないし、仕事もしているので、その人のことを四六時中見ていることはできない。だから、レベルによってはお医者さんを紹介したほうがいいと思うんです。でも、死んだKはそれが嫌だったみたいで、お医者さんに診られる、つまり他人に自分をさらすことに、自意識が耐えられなかったんですよね。

末井  自意識の問題は大きいですね。悩みごとも、つきつめていくと自意識が原因のことが多いんじゃないかと思います。自意識が大きくふくらんだ人は、生きづらいんじゃないでしょうか。

めろん お母さんがダイナマイト自殺されたとき、末井さんはどんな心境だったんですか? 僕は友人のKが自殺したとき、あまりにも無意味だと思ったんです。泣きもしなかったし、もう、真空状態みたいな感じ。よく見てたサイトが、ある日「404 Not Found」になってたような。そこにまったく意味が見いだせない。あるいは逆に、そこにいくらでも意味付けできてしまうから、あえて意味付けすることを忌避していました。末井さんは、そういうのってなかったですか?

末井  その感じはよくわかるんです。だけど母親が自殺したとき、ぼくはまだ子供でしたからね。悲しいっていうのでもないし、強いて言えば驚きですかね。驚きとお祭り騒ぎ。ダイナマイト心中ってちょっとした事件ですから、人が集まってくるんですよ。警察はもちろん地元の新聞も取材にきていて、家のまわりがお祭り騒ぎで、わくわくしたことは覚えているんです。

めろん 寂しさもなかったですか? やっぱり昨日までいた人がいなくなるわけだから。

末井  もともと母親とぼくはそんなに一緒にいなかったんですよ。母親は肺結核でずっと入院してて、治る見込みがなくて退院して、それから1年くらいして自殺したから。まあ1年間の交流はありましたけど、そのあいだに若い男を家に連れ込んだりしてて、そういうときぼくは外に追い出されるわけです。だから、親子の関係をちょっと客観的に見ていたかもしれない。ただ、母親がいなくなったという空虚感は、いまだに残ってる気がする。


めろん ぼくらの、死に対する反応って、ドラマとかにすごい汚染されてるじゃないですか。人が死んだときの様子って、フィクションで見ることのほうが圧倒的に多いわけで。だからぼくは、型としては、そういうときには泣くのが正しいと思っていて、Kが死んだときの自分のリアクションが間違ってるんじゃないかという気がしてたんです。

末井  ぼくも、人が死んでもなかなか涙が出ないんですよ。お葬式なんかでも、みんな泣いてるけど自分は泣けなくて、だから人間的に欠陥があるんじゃないかって思うことはありましたね


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