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夏の方舟 #04-01

最終章「こどもたちの素数」

01


「野球ふりかけ、井川が出たの!」

 教室の最前列でうに子が叫んだ。
 昼休みの教室。ぼくは食事中の大多数生徒たちの刺すような蔑みの視線を背中に受け、やきそばパンをもぐもぐと咀嚼し、型落ちのガラケーで撮った写真を整理していた。くっつけられたぼくとうに子の机の中間地点におかれた弁当はいつも通りに白い米のみ。加えて八個入りのふりかけがワンパック。このふりかけ八種類を一度に白い米にかけて食べるのが毎日のうに子の昼食だ。うに子の親はふりかけ工場で働いている。

「見て見ておーちゃん!」

 地震雲、風邪のとき吐いたゲロ、カッターで深く切った傷、近所の凶暴三つ足猫、そしてシド・ヴィシャス。クソがっ! クソがっ! クソがっ! クソがよおおおお!! などと青空に叫びたくなる気分を抑えるためにはこうしたパンクスでアナーキーななにかを探し続けなくてはならない。

「ねえねえ見て見て」

 ひりつくスリル。そんなもの日常にはない。必死で探してこの程度。クソがっ! クソがっ! クソがっ! クソがよおおおお!!

「ねえってば」

 知ったこっちゃねえよ、っていうかマジで恥ずかしいから座ってくれ頼む──という願いも虚しく、人形のようににぎやかなフリルだらけの服を着たうに子が教室の最前列で立ち上がり、文字通り小躍りを始める。あきれたようにみんながそれを見ている。

「はいはいなに」

「井川だよ知らない? 阪神のピッチャー」

「野球なんか興味ねーっつーの。野球好きな奴って~なんか臭くねえ? 頭悪いし、勉強できねーしさあ。がんばっちゃって将来どうすんだよー」

 野球部の奴らに聞こえるようにでかい声を出す。
 教室の丸坊主から殺気を感じた。

「ねえねえ見て見てねえってばねええええ! にゃーにゃーぺろぺろ」

「うわっ! なにすんだよバカ!」

 舐められた首筋を手でふきながら仕方なく対応する。

「なんだ……それ」

「野球カード」

 うに子が差し出したカードには、縦縞ユニフォームを着た選手のナイスなピッチング直後の写真。

「今どき野球とかスポーツやってるヤツなんて死ねばいい。愚の骨頂なんだよ。あと小学生にもなって毎日親が弁当にいれてくれる野球ふりかけとそのカードを楽しみにしているおまえも同罪だ」

 かるく巻き毛になった茶色いうに子の髪をつっつく。

「ひどい……そんなこと言ったらうに子、井川のお嫁さんになっちゃうからね」

「どういう理屈だよ。てか無理だろ実際」

「なんで?」

 いや、そもそもさ、おまえ男じゃん……という言葉を、ぼくはぐっと?み込んだ。

 うに子の本名は宇仁田ハルキ、つまり戸籍上は男なのである。けれど、うに子という人格は完全に女性だ。あれはたしか……幼稚園の頃。たまり場だったくじら公園で、女の子の服を着た宇仁田ハルキはいつもいじめられていた。うに子というあだなはそのときのものだ(ぼくがつけた)。
 ぼくもその頃は当然いじめる側だった。子供ってのは異物に敏感なわけでそれはそれでしょうがない。ある日ぼくは、うに子から手紙をもらって近所の歩道橋の上に呼び出された。これはタイマンだと意気込み、腹に防御用のコロコロコミックを入れて行ってみると、夕暮れの歩道橋の上で、いきなり好きだと言われた。
 びびった。
 そして逃げた。ヤバイ。ヤバかった。夕陽に照らされて赤く染まったうに子の顔がとてもかわいくて、ぼくは死にたくなった。いろんな意味で。
 それ以来、ぼくとうに子はなんとなく一緒にいる。ラブコメでいうところの友人以上恋人未満な関係というやつだが事態はそれよりも複雑な様相を呈している。

 *

 異常気象も毎年ならばもうそれが普通。
 小学校六年生になったぼくの夏は、冴えないテンションを象徴するように暑くもなく寒くもない中途半端な冷夏。もはや夏らしい猛暑など、最近ではとんとご無沙汰である。
 ぼくの夢は中学生になったら街に行ってギャングになってヒップホップとかやって、ヤクザとかに一目おかれて、街の王様になって、ある冬の夜とかにヒットマンに撃ち殺されることで、まあ言ってみればパンクスな生き様で歴史に爪痕を残すことでありそのためには自爆テロも辞さない覚悟。かたや、うに子の夢といえば──なんにもなかった。
 野球選手とかサッカー選手とか社長とかになりたい、っていっとけばなんとか恰好つくだろとかおもってるような、とりあえず野郎よりはまだマシだけど、幼馴染みのぼくとしては、なんとかこいつが自立するための夢を見つけてやりたかった。
 これからの時代、男はもうだめだ。終わってる。
 小学校六年生にしてぼくはそのような思想に染まっていた。なぜならば死んだ父は、ヒキコモリでオタクでニートだったし、うに子の父だって家にいるときはいつもスマホの画面を見ているだけのゾンビのような存在。人生を切りひらいていくのはいつも母親だ。社会の癌みたいなのはみんな男ばかりだ。昔みたいに男が稼いで女が家庭を守るなんて考えられない。古いんだ、そんな考えはきっと。そのうち女はどんどん自立していつか男がいなくても細胞分裂して子供を作れるようになるのだと母がいっていた。真実だと思う。
 自分の家にいる姉と母を見てるとわかるのだ。二人ともまるで細胞分裂したように似ている。似ていないのはぼくだけだ。

 *

 帰り道。

「うふふ……ピッチャー。井川、背番号29。生年月日は1979年7月13日。星座/蟹座。血液型/O型。O型……うに子と相性いいかな。身長・体重/186㎝90㎏。すごいや。おっきーな。投・打/左投左打。出身地/茨城県。学歴球歴/水戸商業高校。1997年ドラフト2位……」
 相変わらずカードを見て、うれしそうににやにや笑いを浮かべるうに子。

「あーうるせえ……そのデータいつのだよ。イガワがタイガースいたのって一〇年前とかじゃねえの!?」

「いろんなイガワがいるんだよ」

「そんなカードが入ってるっつーことは、そのふりかけあきらかに賞味期限切れてるだろ!」

「ふりかけに賞味期限はないよ?」

「いやいやそんなわけねーだろ。そんなにイガワが好きならイガワの子になっちゃいなさい。あ、つーか、そうだおまえ野球選手になれば?」

「運動苦手だから無理だよ……」

「ああ! もう! 努力! 努力しろよ! なんとかしろよ!」

「努力でもどうにもならないことがあるよ。まあ、ゆっくり考える」

「ダメだ。小学校を出るまでに考えないと……中学生になったらもうダメ!」

「なんで、どうして? ギム教育が終わってからでいいんじゃないかなあ」

「その義務教育がぼくたちを洗脳するためのものなんだよ。だからはやく気づかなきゃいけない。中学校とかになったらもっとバカになるぞ。うちのねーちゃんみたいになんか……こう、もっとへんなことになる」

「えーでもうに子は、おーちゃんのおねえちゃんかっこいいとおもうなあ」

「だめだ。あれは終わってる。まさに愚民のお手本だ」

「せっくすとかしてるのかなあ」

「おうせっくすな。せっ……く……え?」

「あんなにカワイイからしてるよねぇ……いいなあ。うに子もせっくすしてみたいなあ……とか最近おもう」

「……なに?」

 体中から変な汗が噴き出す。
 ぼくがこっそりグーグルとかで調べているようなことを、平然と口にしたうに子に、動揺を隠しきれない。後でブラウザの履歴とかCookieの消し方とかわからなくて焦ったこととか、そんな苦労も知らずにこいつは……。

「こないだね、りこちゃんとメールしてたら……そういうのがあるらしいって、教えてもらったんだけど。りこちゃん、せっくすするときれいになって胸もおっきくなるんだっていってたよ」

 りこちゃんマジやべーよ。
 ぼくは頭を抱える。
 うに子が平然とその単語を口にするたびに、皮膚の下でなにかわからないものがぞわぞわと行き場をなくして暴れ始める。うに子は謎の生物に寄生されているのではないだろうか。かきむしってそいつを毛穴からそとにひっぱり出してやりたい衝動で胸がいっぱいになる。

「あーあ、いいなあ。おーちゃんのおねえちゃんとかむねおっきいしナイスなバディだからきっとせっくすとかしてるんだろうなあ」

「先に帰るわ……」

「だ、だいじょぶ? おーちゃん?」

「うん……」

「また明日ねー! あ、音楽の授業あるからたてぶえ忘れちゃだめだよ!」


(つづく)






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