酒クズが観る将になって描く将になってアル中が多分治りTLを焼かれた話

 2019年、9月26日。

 私が人生で初めて将棋の対局を見たのは、2019年9月26日のことだった。

 その日私は自宅にいて、していた作業のBGMにするための動画を探すべく、ニコニコ動画内をさまよっていた。
 2019年の9月26日は木曜日である。木曜日の昼ひなかにだらだらとニコ動を徘徊していた、という導入でお察しいただけるかもしれないが、当時の私の人生はまさにゴミクズだった。(もちろん、この世のすべての人が、月~金の日中に働いているわけではないのは前提であるが)
 職がなく、職が見つかるあてもなく、その年の夏は一日中ニコニコ動画で高校野球中継を見ていた。ただひたすらに流れていくコメントを読み、ブラスバンドの応援を朝から晩まで聴いていた。頭の中に去来する不安や希死念慮を押し流すためには、脳を埋め尽くす大量のコメントが必要だったのだ。
 しかし高校野球が終わり、8月も終わり、私は次なる『無になるためのコンテンツ』を求めなければならなくなった。しばらくの間は、なんらかのスポーツ中継や、ゲーム実況などの動画を見ていたと思う。そうして夏すらも終わりかけた9月26日、ニコ生の番組欄を流し見していた私の目に、第60期王位戦の文字が飛び込んできたのだ。
 それは豊島将之王位と木村一基九段による、七番勝負の最終局だった。

 当時、私が持っていた将棋の知識と言えば、『羽生さん、藤井君、ひふみん』という、ほぼ単語以上の意味は持たない数人の人物くらいのものだった。もちろんルールどころか、駒の動かし方も知らない。だが対局の放送自体を数分見て、私はそれをいたく気に入った。特段騒がしい音もなく、画面が動きすぎて気が散ることもなく、そして何よりコメントが多かった。追いきれないほどのコメントで、脳をオーバーフローさせる目的にはぴったりだった。
 だらだらと手作業をしながらコメントを追ううちに、私はこの対局が、どういった構図を持つのかをなんとなく理解した。
 タイトルホルダーである豊島王位は、王位の他に名人という何やら凄いらしいタイトルも保持している俊英。29歳。黒髪メガネ。対する木村九段は、過去幾度もタイトルに挑みながらあと一歩届かなかった、40代も半ばを過ぎた苦労人らしい。確かに風貌がいかにも苦労したっぽい。将棋のことについては何も知らないながら、頭脳スポーツにおいてどちらに分があるかと問われれば、当然年の若い方だとその時は思った。そして20代ならまだ未来があるとも思った。『その時』、『その一瞬』は、若かろうと老いていようと誰にとってもたった一度であるはずなのに、年長者というものは年少者に対してつい、「でも若い子には先があるから」という理屈を持ち出してしまいがちである。
 そんなわけで、「二個持ってるなら一個くらいあげなよ、また取れるでしょ」などという、罰当たりなほど適当な気持ちを抱きながら、私はルールも分からぬ王位戦を眺めていた。符号やら、専門用語やら、知らぬ人名やらのコメントが流れていく合間に、対局者が時々駒を動かす。勝勢も敗勢も当然分からない。
 私にとってその対局は、単に流れていく文字を追うだけのノベルゲームであったのかもしれない。だが、それらの文字列が含む情報からふと、対局者たちがこの一局にかける意欲、情熱、執念、意地を読み取れた気がする瞬間があった。そうした人生の煌めきの断片のようなものを、一度、二度と感じとるうちに、私はいつしか夢中になって勝負の行く末を見つめていた。

 そして対局が終わった時、私は散らかり放題のアパートの部屋の片隅で、半泣きになりながらパソコンの画面を眺めていた。

 先に書いた通り、当時の私の生活はめちゃくちゃで、ゾンビのように夜を待っては酒を飲み、希死念慮にうなされて眠れないまま明け方を迎えていた。そんな状況から抜け出したくても、新しいことを始めたくても、もう若くもない自分には無理だと、全てを諦めて現実から逃げていた。
 だがその日王位戦の最終局で勝利し、初タイトル獲得の最年長記録を更新した木村新王位は、自分よりもかなり年が上だった。もちろん棋士の先生方は、幼い頃から日々研鑽を続け、努力を積み重ねている。目を覆いたくなるほどちゃらんぽらんに生きてきた私とは違う。

 しかしそれでも、年齢のことのみただ一点の話をすれば――私だってまだ、諦めるには早すぎる年齢なのではないか? 
 なぜか突然、そう思えたのだ。
 まさに天啓のようにすっと心に光が差して、その瞬間、目に涙が溢れた。

 画面の向こう、なにやらインタビューらしきものを受けている木村新王位を見ながら、私はこれからこの救世主のような人を応援しようと決めた。将棋のルールも覚えよう。そして対局中のコメントを読むうちに、どうやら彼は彼でここに至るまでかなり苦労をしたようだ、と察した豊島名人についても、同じく応援することを決めた。かわいいし。
 その時私は、若いとか年とか、勝ったとか負けたとか関係なく、両先生のことがただただ好きになっていた。


 観る将になった

 こうして趣味の一部として新たに将棋を楽しんでみようと決意した私だったが、それからの人生の方でちょっと色んなことがあり、結局すぐに将棋沼につかることはできなかった。駒の動かし方と簡単な囲いを覚えてぴよ将棋などをやってはみたが、対局自体はほとんど見られず、12月、テレビのニュースで豊島先生が竜王を奪取したことを知って嬉しかったのを覚えている。
 年が明けて新型コロナで世の中が一変し、私が対局を見られる環境を手に入れたのは、将棋を知るきっかけになった王位戦のほぼ一年後、第61期王位戦の頃だった。
 その夏、見られる限りで王位戦を見て、名人戦を見て、叡王戦を見て、結果的に木村先生は王位を、豊島先生は名人を失ってしまったが(叡王は奪取した)、ルールが分かるだけでも将棋観戦は楽しかった。解説がつけば、指し手の狙いやその後の展開についても説明してもらえる。そしてそこに来る先生方をひとりまたひとりと知るうちに、解説の手腕だけでなく、キャラの濃さや雑談の妙味に引き込まれ、どんどん中継観戦が面白くなっていった。

 こうしていわゆる観る将として将棋をエンジョイし始めた私だったが、日が経つにつれ、この楽しさを一緒に分かってくれる友達が欲しいと思うようになった。
 中高生の頃には音楽が好きだったので、趣味の合う友人とCDの貸し借りをしたり、ロッキンオンのような雑誌を買って、当時は存在していた文通相手募集(文通!)コーナーなどで同じバンドが好きな人を探し、手紙をやりとりしたりしていた。あの頃のように情報交換や推しトークをすることはできないだろうか。だが周りに将棋を趣味にしている人はいない。
 そして私は『作りたい』オタクでもあった。上記のバンド好き時代には、ライブレポートやアルバムのレヴューをイラストや文にして同人誌を作ったこともあった。羊毛フェルトでひたすらネコチャンを作っていた時期もあった。何かを「好きだー! サイコー!!」と思うと、そのパッションを静かに抱えておけず、何らかの形でアウトプットしないとだんだん心がもやついて濁ってしまうのだ。

 将棋を安定的に観戦し始めてしばらくの間は、鍵付きのツイッターアカウントにただひたすら奇声奇文を書き込んでいたのだが、やはり私はだんだんその状態に満足できなくなっていった。
 別に友達ができなくてもいいから、同じものを楽しんでいるコミュニティにそっと属して、同じワイワイの空気を吸いたい。
 その気持ちがついに抑えられなくなり、公開のツイッターアカウントを作ったのが2021年6月のことだった。

 描く将になってアル中が多分治った

 公開のアカウントを持った私は、この馬鹿でかい電子の日記帳に、推しの先生方へのクソデカ感情や、将棋観戦た~のし~~~!! という気持ちを好きなように吐き出そうと決めていた。今やなんとか観る将歴1年が過ぎ、その間に本を読んだり動画や記事で様々なエピソードを知ったり、完全にインプットが過多で心のバランスを崩していたのである。アウトプットがしたい。君が好きだと叫びたい。明日を変えてみよう。そんな歌もある。

 将棋は野球やサッカーなどと違って、現地に行って声をあげ、旗を振って応援するようなことができない。対局は対局者の先生方ふたりだけのものであり、そこに雑物が混ざることはない。だから好きだ。
 しかし私は時々、傲慢なことではあるが、推しの先生方をこんなに好きで、尊敬していて、応援しているのに、それを表現する術がないことについて、どうしようもない切なさを感じることがあった。壊れるほど愛しても1/3も伝わらない。そんな歌もあった。サッカーならブブゼラ持ち込んで爆音鳴らせば即解決なのに。これだから将棋は。

 そんなわけで、私はこのどこへも向けられないパッションをどうやって昇華するべきか考え、とりあえず絵を描いてみることに決めた。好きなバンドのライブレポートを描いていた時代と同じメソッドを選択したのである。描いたそれを推しに見てほしいわけではない(むしろ絶対に見てほしくない)。そもそも誰も見てくれなくてもそれでいい。描きたいから描く。日ごとにふくらむ推しへのこのクソデカエネルギーを、描くことによって消費したいだけなのだ。それはもはや応援ですらないのかもしれないが。

 そんな風にして「描きたい……描いたー!!」の即物的なエネルギー利用を続けるうち、私はあることに気が付いた。
「あれ……? 酒飲んでなくね?」

 話が少し戻るが、初めて将棋を見た頃ほどの最悪の状態は脱していたものの、私は相変わらず酒クズとしての生活を送っていた。将棋活動のうち、『観る』と、『(適当にぴよと)指す』は多少お酒が入っていてもできてしまう。だから惰性で飲み続けていた。さすがに飲んでから仕事に行ったり、飲みすぎて生活に差し障ったりということはなかったが、ほぼ週7で飲酒はしていたので、まあアル中予備軍ではあったのだと思う。 
 だが観る将に加えて描く将を始めた途端、私はお酒を飲まなくなった。というか、『描く』は常に手を動かしている必要があるので、飲酒と同時進行できないのである。そして惰性で飲む酒よりも、アドレナリン全開で描くイラストの方が、遥かに楽しく、幸福感があった。
 お酒を完全に断ちたいと思っているわけではないので、なにか美味しいものを食べる折にはもちろん楽しみたいと思っているけれど、お酒やめた瞬間1キロ痩せたので、まあ当分はこの感じでいきたい。

 そしてTLが焼かれた 

 こうして馬鹿でかい電子の日記帳で奇声をあげ、下手くそな絵を描き散らしているうち、それを見てくださる奇特な方々と繋がることができた。将棋を好きな人たちが、やれ順位戦だ棋聖戦だ王位戦だと騒いでいる、その片隅にいられるだけでいいと思っていたが、やはり人と繋がれるととても楽しい。
 私に最推しがいるように、他の人たちにもそれぞれ最推しがいて、みんなが推しへの愛を語っているのを見ることができるのはとても幸せなことだ。

 ここで突然だが、私はストイックな人が好きだ。憧れる。私の中に一番欠落している要素だからだ。将棋というひとつのことをひたむきに愛し、究め、決して倦むことがない棋士の先生方みなさんを尊敬している。
 その中でも私が木村先生と豊島先生を特に推しているのは、将棋を知ったきっかけがその二人だったという偶然だけれども、もしも別の入り口から将棋沼に入ってきたとしても、やっぱり彼らが最推しだったんじゃないかなあと、感傷的なことを考えることがある。偶然ではなく必然として、いずれ両先生に惹かれたのではないだろうかと。百折不撓の精神のままに歩み続ける木村先生のしなやかな強さや、仲間と離れて孤独の闇の中で、高みを求めて戦い続けた豊島先生の怖いほどのひたむきさを愛している。もはや信仰に近いレベルにまで。それなのに二人とも、ひとたび鎧を脱ぐとそれはもうドチャクソかわいい。敬愛の気持ちと「は??? かわいいが!?」の間で、情緒が一発でめちゃくちゃになる。

 そんなわけで、第4回Abemaトーナメントで見て以来、上記のストイックどちゃかわセンサーに引っかかってきた菅井先生が気になるという旨の独り言を呟いたところ、繋がってくださっているフォロワーさんが別の界隈から『菅井先生有識者』を召喚し、画像やエピソードを貼り付けまくるプレゼン大会が各所で発生し、菅井先生ファン界隈(オタク用語でいわゆる沼)が燃えるという出来事があった。
 私はちゃんと将棋を見られるようになってからたかだか1年の初心者なので、コロナ以前の将棋界のことをほとんど知らない。なので、かつては色んな機会に開催されていたらしい、交流型のイベント等での写真やエピソードをたくさん見せてもらえたのはとても嬉しかった。そして、そうやって私がはしゃいでいる間も、いわゆる『ニワカ』に対するきつい風当たりのようなものが一切なかったことに驚いた。(どこか陰で言われてるのかもしれないけど見えてないのでないものとする)
 オタクで言うところの『ジャンル』としての歴史が長ければ長いほど、人の入れ替わりが起こることが常だからなのだろうか。つい先日も、上記とまったく同じマッチポンプで豊島沼と木村沼が焼かれ、また知らない時代の情報を大量に得ることができたのだが、私のようなどこの馬の骨ともしれない輩にも将棋沼の人は優しくて親切だ。noob仕草をするだけで、どこからともなく熟練者がBB弾を乱射してくれるので、黙って撃たれているだけで楽しい。関わり方はいろいろだけど同じ将棋好きじゃん! でまるごとくくってくれるような、いい意味でのガバガバオープンマインドを感じる。これまで私が見てきた界隈の中で、多分一番おおらかだ。今のところ、とても居心地がいい。
 
 話が進むに従って怪文書レベルがどんどん上がってしまったが、最後に。
 実のところ私の人生は、2年前のあの頃と比べて、そんなにぱっとしていない。だが少なくとも今はお酒を減らすことができたし、毎晩死にたくて死にたくて唸るようなこともなくなった。
 だってこれからも、将棋見たいから。
 TOYOSHIMA SUMMER FESはまだ始まったばかりだし、おじさんが王座挑戦するかもしれないじゃん? 死んでられない。将棋の内容についてももっと分かるようになりたいし、にっくきピヨを一匹でも多く叩きのめしたい。

 もしも2019年9月26日、私が王位戦の対局放送に出会わなかったら、今どうしているのかな、と思うことがある。けれど、選ばなかった平行世界より、選んだ今を楽しみたいなと思う。

 将棋沼に来てよかったです。

 ここまで読んでくださった方、どうもありがとうございました。

#将棋


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?