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投資#18 天職ではなく、「イヤじゃない仕事」だったのかも

自称、天職で働いている人間なのですが、思考回路が単純すぎただけ?なんて少し心配になりました。もしかすると、天職ではなく、「イヤじゃない仕事」だったのかもしれません。

私の陥りそうな罠を予め把握しておきたいなと思います。できたら対策も立てたいなと思います。

書籍の情報

著者:榊原正幸
タイトル:『60代を自由に生きるための 誰も教えてくれてなかった「お金と仕事」の話』
発行所:株式会社PHP研究所
制作日:2022年12月28日

引用と感想

天職ではなく、「イヤじゃない仕事」だったのかも

そして、仕事というのは、ほとんどの場合において、「プラス面」と「マイナス面」の両方を持っています。プラスの面だけの仕事があるなら、それは「大好きな仕事」ですし、マイナスの面だけの仕事なんて、速攻で辞めているはずです。
サザンオールスターズの桑田佳祐氏は、音楽の仕事が大好きで、それをなさっているのだと思いますが、それでも時には「今日は身体が辛いから、今日のコンサートは、やりたくないな」と思う日だって、きっとあるはずです。ですから、100%が「プラス面」だけの仕事なんて言うものは、ないと思うのです。
このようなわけで、ほとんど、いやすべての仕事には「マイナスの面(イやな面)」がつきものです。
そこで重要なのは、プラスの面とマイナスの面の「バランス」です。
「イヤじゃない仕事」とは、プラスの面とマイナスの面のバランスを考えた時に、差し引きでプラスが残る仕事です。

第3章 60代を青春時代にするための「3本の矢」◇嫌じゃない仕事とは?-大事なのは「バランス」

この説明に沿えば、確かに今の仕事は、プラスの面とマイナスの面のバランスを考えた時に、差し引きでプラスが残る仕事です。プラスの面が大いにある。ただ、マイナスの面がないことは否定できません。

マイナスの面の多くは、人間関係なので、仕事自体がどうこうという話ではないです。体調が悪い日はさすがに気乗りしないことがほとんどで、やることを限定して、体調を戻すほうに専念します。

⑥仕事にやり甲斐を感じる時もある
私の場合、これはあくまでも「時もある」でしかなかったので、最初から魅力としては小さかったですし、15年以上も同じ職場にいると、これも、最後の頃にはほぼゼロに収束していきました。
私の個人的な感覚の話は、あくまでも「参考程度」でいいのですが、大事なことは、仕事の「プラスの面」というのは「時間とともに変化していく」ということです。
私の場合は、時間経過とともに、「プラスの面」の価値は如実に低減していきました。55歳ぐらいまでは「プラスの面」が100ポイントだったのが、どんどん減って、辞める2年前ぐらいには50ポイントを割った感じがしていました。

第3章 60代を青春時代にするための「3本の矢」◇仕事が好きな理由がずっと続くとは限らない

さすがに同じ職場に15年にはまだ届いていないのですが、アラフォーということもあり、15年に到達するまであと数年です。

いまのやりがいは今後も続くと確信していたのですが、どうやら年齢で変化することを考慮できていなかったようです。「プラスの面」も時間とともに変化してしまうのか・・・。さてどう対処したらいいものやらと思いました。

が、ちゃんと対策も書籍の中には書かれていますね。対策については後程、引用したいと思います。

さて次に、「マイナスの面」についてです。
①    必修科目の講義は、やりたくなかった
私が青山学院大学の大学院で担当していた講義は、必修科目・選択科目・演習科目というのは、いわゆる「ゼミ」で、少人数制の選択科目です。
半期で5コマ担当するうちの2コマが必修科目で、これがイヤで仕方なかったのです。これは必修科目のため、だれがやっても同じような教科書的な講義をしなければならず、それがつまらなかったのと、必修なので「仕方なく受講している人」もいて、講義の雰囲気もイマイチでした。
このように、仕事の中には、「この仕事はイヤじゃないが、こっちの部分の仕事はイヤだ」というようなことが必ずといっていいほど、あります。皆さんのお仕事の中にも、こういった「イヤじゃない部分と、イヤな部分の混在」は、きっとあることでしょう。
しかしながら、誠に残念なことに、「イヤな部分だけ」をそぎ落とすことはなかなか困難なものです(私の場合も、必修科目だけを誰かに変わってほしくて仕方なかったのですが、それは規則上、不可能でした)。
②    著書や論文を書くといった、いわゆる研究活動を「しっかりやらないとダメですよ!」という暗黙のプレッシャーがあり、それが鬱陶しかった
著書や論文を書くというのは、大学教員に固有の仕事のようですが、平たく言えば、「ノルマ」ですね。大学教員の場合、著書または論文を「少なくとも年に1本は書く」というのが、暗黙の、または明示的な「ノルマ」です。
⑥ご多分に漏れず、仕事に飽きていた
これは、皆さんも大なり小なり必ず持っている気持ちでしょう。もちろん、大好きで仕方がないというよな仕事をなさっている方には無縁のことですが、仕事なんていうものは、どんなに最初は面白かったとしても、3年もすれば大なり小なり、飽きます。
日本人は勤勉で真面目な人が多いので、「仕事に飽きたなんて思ったらダメだ」という気持ちが強いだろうと思いますが、正直に言ってしまえば、誰だって仕事には大なり小なり、飽きているはずです。
この「仕事に飽きた」というマイナス面の気持ちも、歳を重ねるごとに大きくなっていきました。

第3章 60代を青春時代にするための「3本の矢」◇年齢を経るごとに「マイナスの面」も強化される

プラスの面が減って、「イヤではない仕事」がイヤな仕事になるだけではなかったのですね。マイナスの面が大きくなって、プラスの面とマイナスの面のバランスが崩れるのか・・・。

マイナスの面に関してですが、著書にあるように、これぐらい項目立ててこれぐらい具体的に書けばいいのかという参考にとてもよいと感じました。これだけの文量を書こうとすると、書ける人(今の仕事がイヤになりつつある人)はさらっと書けるかもしれませんが、そうでない人は書くことでさえ苦労しそうです。

とは言え、自分の現状を客観視できるのですから、これはまねしない手はないなと思いました。

誰がやっても同じ結果にしかならそうなこと、これは自分がやる理由がありませんから、マイナスの面として挙げるのは参考になりそうです。

また、ノルマもマイナスの面として挙げやすそうです。ノルマとして課されるものの多くは、誰がやっても同じ結果になるようなことなのかなと思います。

飽きたというのもそのままコピーして使えそうです。理由も万人に共通と思われることが書かれていますから、そのまま拝借できるように思います。

マイナスの面に関しては、これも忘れてはならない事項であろうと、抜粋しておきました。

ですから、還暦を過ぎると、「QOLが高い人生」の残りは、「10年ちょっと」しかないのです。還暦を目前にすると、そういう思いが俄然強くなるため、仕事をしていることのマイナス面が急に膨張します。
このように、「イヤじゃない仕事」でも、歳を取ると「イヤな仕事」になってしまうことがあるのです。このことはぜひ、頭に入れておいてください。

第3章 60代を青春時代にするための「3本の矢」◇比べてみて「どちらが大きいか」

イヤな仕事から逃げていいのだろうか?

イヤな道からは逃げていいのです。でも、逃げるのは決して楽ではありません。逃げた先には「死にものぐるいで頑張る道」しかないからです。でもそれは、とても楽しい人生です。

第3章 60代を青春時代にするための「3本の矢」◇そのリスクには「筋道」が通っているか?

イヤな仕事からは逃げてもいいようです。それはそうですよね。イヤな仕事を続けて、心身を壊すようなことがあっては元も子もないですし。

逃げた先には「死にものぐるいで頑張る道」しかないというのは気がかりですね。逃げ道がないところに追い込まれるから苦しいような気もしますが、とても楽しい人生と書かれています。これは体験しないとわからない感じがしますね。

アラフォーの仕事との向き合い方

さて、ここからは具体的に、年代別に「イヤじゃない仕事」に就くためのアドバイスをしてまいりたいと思います。
『論語』の「四十にして不惑」という言葉は、よく知られています。「人生、40年も過ごしてきたら、もう惑わず」ということなのですが、私自身は40歳になった時には「不惑」というにはほど遠く、まったく腹が据わっていませんでした。
しかし、今にして思うと、「四十にして不惑」というのは、「40歳になったら、もう大きな軌道修正はできないよ。だけど、これまでの路線を踏襲する中で、さらなる飛躍を遂げるように微調整はしていきましょうね」という意味だったのだな、と納得できます。40代は自分が定めた道の中でマイナーチェンジをする最後のチャンスの時期です。
私自身は43歳になる少し前に、東北大学から青山学院大学に移籍しました。大学の教員という枠の中でのマイナーチェンジですが、当時の大学の世界では、旧帝大から私立大学へ移籍をするのは一大決心でした。でも、あの時に移っていなかったら、きっとずっと移籍は考えなかっただろうと思いますし、最善のタイミングを逸してしまっただろうと思います。
青山学院大学に移籍する前に東北大学で教授に昇格していましたから、大学の世界では過分なまでの出世を遂げることができていました。もちろん、私の場合は大学の教員の仕事は「イヤじゃない仕事」でしたし、東北大学での就労環境はとても良好だったのですが、「大学教員以外の自分の可能性」を信じていましたので、「さらなる飛躍を!」という思いで、東京の私立大学に移籍して、「大学教員以外の自分の可能性」を試すことにしました。
私の場合は、それが結果として副業であるネットビジネス(株式投資に関するオンラインサロン)の運営と株式投資に関する研究へと発展していきました。
このように40代からの転身については大幅な軌道修正ではなく、現状を維持しながら、プラスアルファを狙うというようなことを考えるとよいと思います。
それと、20代や30代のことから計画的に生きてきた場合には、すでに「イヤじゃない仕事」には就けていると思うのですが、それをより、「イヤじゃない方向」へとマイナーチェンジするのはオススメです。
もちろん、同じ業種の中で独立したり起業したりするのはいいですが、会社員や公務員だった人が40代でまったくの異業種に転職したり、まったくの異業種で起業したりするというのは前述の「適切なリスク」とは言えないので、オススメできません。
40代で「イヤじゃない仕事」に就くノウハウというのは、極端な転職ではなく、従来の職域の中で、またはその延長線上で、より「イヤじゃない方向へとマイナーチェンジする」という感じが適切だと思います。

第3章 60代を青春時代にするための「3本の矢」◇今、40代の人へー「マイナーチェンジ」でイヤじゃないほうへ

後程引用したいと記載したのはここです。『論語』の「四十にして不惑」という言葉は耳にした人がほとんどかなと思います。「40歳になったら、もう大きな軌道修正はできないよ。だけど、これまでの路線を踏襲する中で、さらなる飛躍を遂げるように微調整はしていきましょうね」という意味と、著者は解釈しているようです。

ちっちゃな迷いはあるけれども、メインストリームはどこか定まるという感じなのでしょうか。

ここでのマイナーチェンジの中には、同じ業種の中での独立起業も含まれるとのことですから、案外狭いマイナーチェンジとはならない気がします。

また、5F(ファイブフォース)分析のようなフレームワークがありますが、これからわかることは、お客さんは常に変化している(買い手の脅威)ので、いまのやり方が通用しなくなるのは目に見えています。そんなことからも、マイナーチェンジは必要だと思いますし、それがよりイヤじゃない方向へ向かうのであれば最高ですね。

まとめ

確かに今の仕事は、差し引きでプラスが残る仕事でで、マイナスの面がないことは否定できません。ただ、マイナスの面の多くは、人間関係です。

いまのやりがいは今後も続くと確信していたのですが、どうやら年齢で変化することを考慮できていなかったようです。

プラスの面が減って、「イヤではない仕事」がイヤな仕事になるだけではなかったのですね。マイナスの面が大きくなって、プラスの面とマイナスの面のバランスが崩れるというのは私の中で盲点でした。

40歳になってもきっと職種を変えようという気は起きないですが、同じ業種の中での独立起業するなど、さらなる飛躍を遂げるように微調整はしていきたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました!!!


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