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忘れられない異国での乾杯の味

 日中はTシャツにズボンで動きやすい恰好、暗くなってからはワンピースを着て、輝く夜の通りを歩いていた。

 カンボジア、シェムリアップ。有名な世界遺産アンコールワット遺跡のある場所。今年の2月、コロナウイルスが本格的に世界的流行を見せる直前、私は日本を発ってかの国へ足を踏み入れていた。
 一人で。
 今まで国内を一人旅することはあったけれど、海外は初めてだった。とはいえ、しっかりとスケジュールが組まれたツアー旅行で、飛行機の移動は正真正銘一人だったけれど、飛行機を降りてからは現地ガイドや他の旅行客がほとんど常に近くにいた。なので完全な一人旅ではないのだけれど、それでも一人旅、だった。
 世界遺産アンコールワットを中心として、シェムリアップには思わぬ賑わいがあった。直前まで仕事に忙殺されていて、なんといってもアンコールワットが最大の旅の目的だったので、カンボジア料理がどんなものかすらよくわからないまま、辛うじて挨拶だけは勉強して突入したというような状態だったので、ネオンライトがぴかぴか点滅してるナイトマーケットのイメージなんて全然無かった。確かにガイドブックにその特集ページはあったけれど、当初はそんなに興味がなかった。
 でも仕事を忘れていよいよ飛行機に乗った、というところで、ちゃんとツアーのスケジュールを確認して、予定の入っていない時間をどう過ごすかを考えた。夕食を食べてからの時間が思ったより空いている。せっかくの機会なのに遺跡だけというのもなんとなく勿体ないというか、全然勿体なくもないんだけれど、どうせなら出来る限りは町の雰囲気を自分の肌で味わいたかった。そういうわけで、二日目の夜、夕食を終えてから、私は夜の町に繰り出したのだった。
 無論、一人で。
 日本人の若い女、しかも自分で言うのもなんだけれど割とほけーっとしてる見た目なので、なめられるだろうな、カモに見えるだろうな、と思いながら、ナイトマーケットのひとつであるパブストリートへ向かう。
 道路も整備されきっていない、砂の巻き上がる町。道はでこぼことしていて、強引な運転のトゥクトゥク(日本でいうタクシーで、バイクに荷台がとりつけられている)やバイク、車が行き交う。大通りは夜もそれなりの交通量だが、ひとたび道を外れると静かになる。けれど、ナイトマーケットに近付くと、人通りと、観光客を待ち構えるトゥクトゥクの異様な量に圧倒される。
 空は暗闇だった。地上は光っていた。背の高い建物は無く、市場やバーが立ち並び、煌々とした光が通りを輝かせている。
 いるのは、観光客ばかりだった。明らかに観光地なので当たり前といえば当たり前なのだけれど。恐らく、コロナウイルスの影響で、あのときは中国が一番まずかった時で、アジア系は多くなく、ほとんどが欧米系のように見えた。
 私はうろうろとしていた。緊張と昂揚を抱えていた。ガイドもツアー客も隣にはいない。ここで何かあったとしても自己責任だ。命とパスポートさえあればどうにかなるという楽観的なんだか究極的なんだかよくわからない心持ちは、この一人海外旅行のひとつの指針だった。警戒しながら、それでも楽しもうとした。だけれど、私は盛り上がりきれなかった。なんというか、ナイトマーケットは、明らかにパリピ向けだった。いや、楽しい。楽しいのだけれど、たぶん、積極的なひとは、似たような品揃えの市場で、交渉して安くものを買うんだろう。カンボジアの市場に値札は無い。だから、その場で値段を聞いて、交渉する。確固たる基準みたいなものがないことは、不安定だった。私には楽しめるほどの余裕がまだなかった。そういうタイプの私はどう考えてもカモだったと思う。高かったんだか安かったんだかよくわからないけど多分多少交渉はしたものの特別安くなったわけではないお土産など買って、うろうろと通りを歩いていた。
 熱帯地域のカンボジアは、大きく外に開けたテラス形式の店ばかりだ。二階部分からは、明るいダンス音楽が大音量で漏れていて、ピンクだとか紫だとかカラフルな光が建物から漏れている。パーティーナイト。パーリナイ。レッツダンシング。本当にあの中で踊っているんだろうか、人々は。手前で、義足の少年が商売している。足を地雷で失ったと看板に書いている、それが本当であるかは分からない。本当かもしれない。でも、わざと悪い大人に切り落とされて同情を引いている場合があることを知っている。どちらにせよ、生きようとしていることには間違いない。ここはどこだろう、と不意に思った。カンボジアには間違いない。どこか空回りしてるくらいの賑やかさと仄暗さが混ざる、良くも悪くも少し落ち着かない雰囲気。
 歩き疲れて、どこかで休みたい気持ちになっていると、きれいな歌と小気味よいベースの音が聞こえた。


 オープンテラス形式のバーは、ストリートのややはじっこあたりだったようにも思う。そこにもやはり、欧米系の観光客がたくさんいて、日本人かわからないけど、アジア系の人々もいた。比較的落ち着いた店だった。たぶん、あの歌に引き寄せられた人は、ダンスミュージックではないものを欲している人たちだった。黒人の女性がボーカル、座る男性はベースを弾き鳴らし、騒がしいストリートでは、少し異質な雰囲気すらあった。美しく力強く伸びる歌声だった。足を止めて、聴き入った。入ろうかどうか、迷いながら、一曲終えて、拍手が起こる。私も拍手した。拍手して、歌に力をもらって、もう少し歩いてみよう、という気になり、離れる。
 パブストリートのはじにぶつかると、道に沿って無限にトゥクトゥクが並んでいて、めちゃくちゃに声をかけられた。通らずに済むなら通りたくないくらいいっぱいいた。にこやかにカタコトの日本語や英語で声をかけてくる。まだ帰る気もなかったのでことごとく断ったか無視した。道路を渡ると、静かになる。静かな市場を越えようとすると、更に暗くて静かな場所に到達する。闇の中に足を踏み入れていくようで、危険を感じた。なんだかんだ、人がいる場所に居た方が安全なので、引き返す。
 そうして、私はまたあの歌声に引き寄せられていった。いつまで演奏が続くのかは、分からない。けれど、もう足もくたくただったこともあったし、席も空いていたので、テラス部分の背の高い丸椅子に座り込んで、カンボジアビールを一杯頼んだ。演奏者が見える席だった。座ると、落ち着いて演奏に集中できて、聴き入っていた。しっとりとしたムーディな音に、その場にいる誰もが笑みを浮かべて耳を傾けている。ようやく落ち着ける場所に辿り着けたと私は思った。すらりとした曲線を描くグラスに注がれたカンボジアビールは、きんと冷えていて、とても美味しく、歩き回って疲れた身体にアルコールがすみずみまで沁みわたっていく。
 演奏は終盤だったのだろう。もう少し、と思っていたが、座って十分くらいで最後の曲になった。最後、ベーシストの巧みな演奏は光り、堂々とした歌姫は満面の笑みで歌い終えた。惜しみない拍手と口笛。去って行くのが惜しかったけれど、あっさりとベースを片付け、演奏を終えた彼等はすぐに裏へ吸い込まれていく。
 あっという間のひととき。音楽を中心として生まれた空間が、心地よかった。もっと浸っていたかった私はアンコールビールをちびちびと飲みながら、スマホで写真を見返したり、ポケモンGOを起動したりなどしていた。
 ちらちらと落ち着かず周りを見ていた。
 隣で同じように一人で座っている男性がいるのを、知っていた。
 どういうタイミングでだったか、実はいまいち覚えていない。けれど、お互いになんとなく気になっていて、相手が不意に隣にやってきて、声をかけてきた。良い演奏とバーの丁度良い雰囲気にほぐされていた私は、笑って応対した。欧米系で、英語を話す男性だった。
 簡単なコミュニケーションが交わされ、グラスを合わせる。きれいな硝子のぶつかる音。体格の良い男性の彼は、ライク(実はちょっと自信がない)と名乗った。カナダから来たという青年である。私も名乗り、最初はうまく伝わらなくて、アルファベットの綴りを伝えると、オー!と彼は白い歯を見せた。
 ビールを飲みきったところで、彼はカウンターへ足を運び、ショットグラスで、ほとんど黒に近いブラウンのカクテルを二つ運んできた。片方を私にくれて、お金を払う、と言ったら、笑って「いらないよ」というようなニュアンスで言った。私は驕られるのがとても苦手なのだけれど、ここで財布を出すのも失礼そうなので、遠慮無くいただくことにした。
 もう一度乾杯する。飲んだら、甘さと苦さが混ざる。すごく味に覚えがあるけど、てんぱっている私の舌はそれが何かを瞬時に判断できなかった。たいへん好みだけれど、なんの味かわからなくて、コーヒーテイストだと教えてくれて、確かに言われてみるとどうしてわからなかったのか、というくらい思いっきりコーヒー風味のカクテルだった。とにもかくにも美味しかった。
 そこからは、ちょっとぎくしゃくとしながらも、のんびりと話をしていた。
 ようやく異国の夜に腰を下ろしたような感覚だった。
 私は、あまりにもへたな自分の英語能力を嘆いた。興味深い機会なのだ、あんなこと、こんなこと、尋ねたいことも伝えたいことも脳内でいくらでも巡るのに、英語でどういったらいいのか、わからなくて、とてももどかしかった。ライクはなんというか優しいひとで、私が英語が苦手な日本人であることを理解したうえで、ゆっくりと話してくれた。私は必死に聞き取ろうとして、カタコトな英語で伝えようとした。歌、良かったね、ということを言いたくて、良かった、という言葉をexcellentだとかinterestingだとか言ったことを覚えている。
 私が彼に対して何を伝えられたかというと、あとは住んでいる場所と職業と、そのことくらいしかきちんと覚えていないけれど、ライクのことは覚えている。いや、間違ってるかもしれないんだけれど。
 カナダ出身だけれど、学生時代から八年間オーストラリアに住んで農業をしていたということ。
 スキーが好きで、日本にもスキーをしに来たことがあるということ。カナダでも、よくスキーをしていると。私はカナダに行ったことがないし、スキーはけっこう苦手だったので、すごいな、と感心していた。
 明日から別の場所に飛んで、友達とビーチに行くのだということ。私はアンコールワットのイメージが強すぎて、泳げるビーチがあるというのに驚いた、ということを伝えようとした。伝わったんだろうか。わからないけれど、そうだよ、と彼は笑っていたような気がしている。砂っぽい乾いたイメージのあるカンボジアに、青い海の風景が被さったのは、彼との会話があったからだ。
 名前がわからないコーヒーのカクテルは美味しくて、ここでこういったカクテルを選べるというのもなんだかおしゃれというか素敵というか、いい印象で、私は、下手なりに言葉をたくさん選び、脳をフル回転させていた。ここでないと交わせない瞬間だと思った。外に面して開放的で、ほどよい明るさに満ちたバーで、カクテルを飲みながら異国のひととコミュニケーションをはかる。私の英語はあまりにも拙くて、でも、その時間は、お酒と音楽で昂揚していたことも、ライクが優しいひとであったことも助かって、とても楽しかった。
 私は、楽しいことがあると、その後深く沈んでしまう傾向にある。お酒を飲んだ席は特にそうで、酔いに任せてなんであんなことを言ったんだろう、とか、ちまちまとした自分の失敗にばかり目を向けたり、楽しかったことから離れた温度差に打ちひしがれたような感じになったりする。けれど、この日は、ただ楽しい、で終わった。楽しかったのだった。ツアーでパッキングされたスケジュールの合間を縫って、多少のリスクを抱えながらも、自分の責任で、自分の足で異国の地を歩き、じっとしていれば見ることのできなかった景色を見て、聴くことのなかった音楽を聴き、会うことのなかった人と出逢い、他言語でコミュニケーションをとる。
 一人だった。
 常に、一対一で、懸命だったから、楽しかった。
 でも、私には警戒心が一定残っていて、このまま流されないようにしよう、というなんというかおこがましいようななんなんだという思いがあり、翌日は早いし(アンコールワットの夜明けを見る予定を控えていた)、夜が更に深くなる前に自分から席を立った。Thank youと伝えた。とても楽しかった、と伝えると、彼も同じのようで、その本心はそりゃあ、わからないけど、たぶんお互いにきちんと楽しかった、でなければ楽しいと感じることはできないだろう。別れる間際、一緒に写真を撮りませんか、と尋ねた。Can I take a picture with you? だとかなんとか。彼は笑顔で応じてくれた。私のスマホには、彼との写真が残っている。
 改めてカクテルのお礼をして、バイバイ、と手を振り、彼に背を向けた。
 まっくらやみの空の下、ネオンライトがきらめいてまだ眠らない通りを、あたたまった心のまま歩いた。
 特別な夜だった。あらゆることが。
 冷静になれば、異国の地で素性の分からない人間からもらう酒というのは、ちょっとした危険性も含んでいたのかもしれない。でも、そういった疑いもまた野暮だろう。カンボジアというお互いにとって母国でもなんでもない旅行先で、楽しい時間をくれた彼に失礼だろう。
 連絡先を交換したわけでもなく、ただその場でお酒を交わして、遠い、交わることのなかった声を交わした。音楽に引き寄せられ、お互い一人で、乾杯に言語は必要なく、グラスを交わした刹那の瞬間に繋がった。笑いながら、話していた。一対一。人間と、人間の、交わり。
 きっと、私がもっと英語を操ることができたら、もっと深く知り合うことができただろう。もっと深く話し合うことができただろう。楽しいままで終わった、とは言ったし、それは間違いないのだけれど、ずっと悔やんでいる。悔しかった。別言語を話せるようになりたい、と思っていて、少しだけ勉強している。
 彼とは再会できないだろう。でも、そういうことは特別でもなく、常にそう。私たちは、誰かと偶然出逢い、偶然話している。その偶然性をもっと楽しみたいと思えた、そんな不思議な夜だった。
 コーヒー風味のカクテルは特別な飲み物になり、呑むたび、私はあのカンボジアの観光地での夜を思い浮かべるだろう。
 そして、いつかまた、誰かとその味を呑み交わしたい、と思う。今度は、相手のことも自分のことももっと理解しあえる言葉と共に。

たいへん喜びます!本を読んで文にします。