考えてこなかった戦後世代  〜なぜいま哲学が求められるのか〜

青年海外協力隊を経て、アメリカ暮らしをしたのちシルク・ドゥ・ソレイユで世界各国を10年ほど働きながら旅してきた経験から、日本の記事を比較・考察し、つぶやいているUmiです。

第二次世界大戦後から、現在までの私たちの多くは考えてこなかった世代たちだと思う。戦後すぐは全く物のない状態から、生きることに精一杯で考える余裕なんてなかったはず。そこからベビーブームで団塊の世代が生まれる。私の父もその世代。この世代は戦後からの復興で苦労している親たちを見ている。

必死になって自分たちを育て、いい学校やいい会社に入れようとしてくれた背景もあり非常に勤勉でその親の苦労に報いようという想いが強い。物のない時代から高度経済成長を経て、世界からも日本人は働きすぎという代名詞が付くほど働いてきた。バブルも経験し”物質”による幸福感を得ることができた。

そしてその団塊世代から生まれてきたのが団塊Jr.世代。これが私に当てはまる世代。私たちは物の豊かさは手に入れたが、団塊の世代が考えることなく突き進んできた「いい大学を出ていい会社に入る」ことを盲目的に押し付けられてきた世代。親の世代はがむしゃらに働いていたため、教育は学校や塾任せ。何が正しくて何がいけないのかを”世間”に任せてきた。

団塊世代が権力や常識、価値観の大半を握り、その中で団塊Jr.世代はもがきながらも進んできた。そしてこの団塊Jr.世代の次のミレニアル世代が団塊世代との大きな隔たり、ギャップを生んでいるのが現在ではないだろうか。団塊の世代が考えずに押し付けていた正義や価値観に疑問を抱くも、誰も正解を教えてくれない。この記事にもあるように、学校の先生でさえなぜその校則があるのか、正しいのか答えられない。つまりそれまでの世代は考えてこなかったのだ。考えても変えられなかった現実があるのだろう。

いま私たち日本は物質的に豊かになり、立ち止まることができる時代になった。そして今まで先延ばしにして考え直してこなかったことを改めて考え直すには、「なぜ」という疑問に立ち返らざるを得なくなった。そのなぜという問いは哲学の根幹だからこうして見直されているのだと思う。これから校則も含め、法律や文化、歴史、無意識に行なっている習慣や偏見なども今一度なぜなのか問い直し、新たな価値観を生み出していくのだろうと思う。

カナダやヨーロッパのいくつかの国々では義務教育で哲学が必修科目になっている。最近日本でも道徳教育がまた復活したようだが、まずは考えてこなかった世代がきちんと考え直す作業をしていかなければ、道徳教育を誰が教えるんだろう。

日本はこれからAIや人口減少、長寿命化で様々な倫理を問い直さざるを得なくなるだろう。今のうちに自分で考える習慣をつけて欲しいと思うし、ようやくその時代が来たことを嬉しく思う。

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