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死の人形①

奥さんがリラクゼーションのお店を出しました。少しでも免疫があがったり、疲れが取れたり、笑顔が生まれる場所にしていきたい。

店舗の半分をリラクゼーション、もう半分でギャラリーにして、展示第一弾は死んだ父の写真個展を開催中。ただ撮られた写真を眺めるだけでなく、ー20度極寒の北海道の雪の中で、夢中でシャッターを切った男の生のエピソード、人生、物語を知った方が、良いかと思い今回は父の事、父の臨終から葬儀の事を中心に書きます。

実の親の死に様をネタにするとは、何事か。気色が悪い奴だ、と思われるかもしれませんが、父の葬儀は本当に不思議な事が起きました。どうしても今、書く方が良いと思われるので書きます。

父は昭和10年生まれ。教員を経て、40代の時に、親戚の建設会社に就職。定年後にカメラに目覚め、何故か北海道の屈斜路湖に来る白鳥を取り憑かれた様に撮影してた。後半は北海道以外では撮影しなかった様に思う。家の中では超独裁で、常に何かに怒っていた。

父が他界して、約一ヶ月くらい経った頃、実家に、線香をあげさせて欲しいと、70代男性4人が訪ねてきた。父が教師の頃の教え子で、一人は岐阜からわざわざ来てくれた。中学校を卒業後、必ず年一は食事会をしたり、就職、結婚、何かあると、父に相談、報告していたそうだ。中学生で知り合い、父を含めた5人の仲間の約55年間の付き合い。みんな父をまっすぐに恩師と慕う良い関係だが酒を飲み、クダを巻く方の父も染み付いてたから、人間には見える角度で、映り方がまるで違うし家族が知らない父が居るんだなと思った。

お茶を出したり対応をする俺を見て、教え子四人はたまに笑っている。俺の中の"親父"を見つけているのがわかる。中学生の頃、担任でもない先生に、君が木村先生の息子か?と話しかけられた時にも感じた感覚だ。父は、教員の中でもとても慕われ、尊敬されていた。

ガンを経て建設会社に転職してから、教員から一気に土建屋一色に変貌。右手の小指を欠損してたから、よく初めて行くレストランなどで、ウェイターに凝視されてた。渋滞中の合流や、割り込みの時、父はにっこり笑って右手を窓から元気よくあげてた。

「ようみとけよ、とうちゃんが手あげるだけでみんな入れてくれるからな」

「ほんまや、すっげーな、とうちゃん!」

小学校低学年に、ブラックなニュアンスがわかるはずもなく、そういう時の父はいつもドヤ顔で、悪く笑ってた。右手の小指は事故で落としたらしい。父の会社は社長も、常務も、みんな事故で小指が無かった。みんな身体を張っていた。

過酷な現場も多く、どこかの県のダム工事をしている時は、街に降りる暇が無く、飯場生活が続いていたが奥歯の虫歯が痛みだし、ついに我慢出来ず、自分でペンチで抜いたという話をしてくれた。しかも何本か。血だらけでも日本酒があれば出来たと話してた。そんな事が出来るのは、無人島に流れついたトムハンクスかランボーくらいだと思ってたが、麻酔無しでも大丈夫な人が家の中に居た。

何故、公務員である教員の道を捨て、土建業に移ったのかと聞くと、昭和40年代のガンは死の病気。手術しても2、3年で死ぬのが当たり前だったからどうせ死ぬなら、親戚に力を貸して死のうと思ったとの事。しかし、まさかの父は死ななかった。

60代のときに、肝臓がパンク。浴びる様に飲んでた酒と引き換えに、カメラに目覚め、いつの間にか毎年北海道まで行く様になってた。一度いくと2か月近く帰らない。車を改造して畳を敷いて寝れるようにして撮影生活。カメラに目覚めてからとても元気で、楽しそうだった。新宿西口エルタワー内Nikonで個展開催、松阪市はにわ館個展開催。市長賞受賞。これは写真集でも出すんちゃうかな!みたいな所で膵臓ガン発見するも、場所的に手術は不能。数年間闘病し、81歳で他界した。

口から食べ物が食べれなくなり、胃ろう治療に切り替わったあたりは、高熱が半月以上も続いて、医師からも危ない話を聞いてたから月一、東京から新幹線で見舞いを続いていた。

見舞いに行った翌日、高円寺の現場で昼の2時頃電話が鳴る。母からだった。この時間帯に、親族からの電話はとても嫌な予感がした。電話を取ると母から、父がどうしても話したい事があるとの事。心して聞いて欲しいと。

これはいよいよアカンやつや!いわゆる遺言、生きてる最後に伝えるやつや。まてよ、もしかして子供の頃よく言われた、"お前は橋の下で拾われた子"よく末っ子が言われるあの台詞、あれがまさか本当なのか、、電話を父に取り次ぐ数秒間、頭がフル回転で悪い事ばかり考えた。

父「おい」

俺「うん、どうしたん?身体大丈夫なん?」

父「どこや」

俺「はい?」

父「どこに隠したんじゃ!!」

俺「はい?」

父が言うには、俺が見舞いに来たときにiPodを部屋に隠した。そのiPodが夜中に鳴り出してうるさくて眠れない。どこに隠したか言え、との事だった。iPodは病院には持って行ってないし、隠してもない。

「おれはまだ死なんぞ!どこや!どこに隠したんじゃ!こんガキャーばらなかに@☆ばぐら●ーじゃー!!!」

だいたいの文句をゆっくり聞いて最後に、とうちゃん、ゆっくり養生してなと言おうとしたが、途中でガチャ切りされた。父は熱による幻聴、幻覚が続いていた。小指を吹き飛ばし、奥歯をペンチでほじり出した父が、全身全霊で病、死と戦っている。高円寺はもうすぐ阿波踊りの季節。どこからか祭りの練習の音が聞こえる。

踊る阿呆に見る阿呆、どうせ阿保なら踊らにゃ損々〜

背中から染み出す汗が張り付き、不快指数85の中、一人一点を見つめる。今日は一人現場で良かったな、、そうや、ハードコアや。こんな時こそハードコアや。カンボジア、アンコールワットに行く朝も聞いたこれや。ハードコアで全部を乗り切るんや。手元にあるiPodでBASTARDを聞いた。

https://youtu.be/JA-k7mqo1Ak




遠距離バンド存続のため、移動費、交通費に当てます。旅は続くよどこまでも