【心理学】親の不平不満を聞かされた子供時代
母親とは、家族のために自分を犠牲にするもの。
私たち夫婦は、それが当たり前に通用する時代に子供時代を過ごしてきました。
しかし、人は自分を犠牲にすると心に歪みが生まれ、不平不満が出るものです。
そのはけ口になったのが、末っ子である夫と末っ子である私。
学校から帰ると、母の不平不満のはけ口にされました。
母の意向に沿わない返事をすると激怒されるので、母の顔色を見ながら、機嫌を取れる返答を考えました。
子供は、素直なので、自分を犠牲にしてでも母親が喜ぶことを必死で考えます。
大人になっても親から自立することができず、自分の人生を犠牲にしてでも、親を助けようとします。
これが、子供時代に不平不満を親から聞かされて育った子供です。
しかし、自分では気づくことができません。
本人は、親孝行と思いながら、自分の人生を犠牲に生きていきます。
ここに気づかせてくれたのが、2人目の出産でお世話になった助産師でした。
「あなたたちは、親子依存している」
と助産師に言われたとき、理解はできませんでしたが、この事実に蓋をしてはいけないと直感しました。
当時32歳。
今のままではダメであることはわかっているが、正解がわからない。
人生の主導権を自分で握るとはどういうことなのか?
親子依存と親孝行の境界線はどこなのか?
この後20年かけて、その答えを知ることになります。
人の顔色を見て生きてきた私は、大人になっても空気が読めるので、誰とでも仲良くできます。
人の心を汲み取ることができるので、自分の意見を言わずに、不満があっても飲み込んで、何事もないように振る舞えます。
しかし、体は正直で心と体はどんどん疲弊していくのです。
仮面夫婦の家庭を作り、外から見たら一見幸せそうな家族。
しかし、私の不平と不満は、言葉ではなく態度で子供達の前に現れるのです。
5年前の家族旅行の写真を見て娘が一言
「葬式の参列者みたいやな」
うちには、娘が2人、息子が2人います。
子供達は、正論しか言いません。
息子達は、遠回しに言いますが、娘達は直球です。
人とぶつかるのは、自分の中の「こうでなければいけない」ルールを指摘されたときです。
子供は、私の中にある無駄な価値観を炙り出してくれます。
その時は、素直に受け止めることはできませんが、気づくことで少しずつ手放すことができます。
まずは、気づくこと。
そして、手放すこと。
無駄な価値観が多い人ほど、人間関係が難しくなり、思い悩んだり、立ち止まる時間が多いです。