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ADHDと個性とストレス

たぶん、私は子供の時から、軽いADHDなのかもしれなかった。感受性が強く、いつも勉強が苦手な姉が叱られているのを見て先回りする子だった。
たまに、両親が喧嘩するのも嫌だった。
いつも何かに怯えていた。


平均より上にいないと許せない自分。

自分らしさ
個性
性格

そんなものはなく、
自由自在に操れる人間になったのは最近だ。

それまでは、非常に生きづらい思いをしてきた。

だから、生まれつきか、育ちかわからない。
グレーなのだ。

今は、息子もグレーだ。
去年ストレスがかかる重大な事が息子にあった。
どうも、その頃から様子がおかしかった可能性がある。
けれど、私は気づいてあげられなかった。

トラウマかもしれない。

大人の自分でさえ、自分がわからないのに、子供がわかるはずもなく、やはり、専門家は見るポイントが違うのである。

生まれつきにしても、後天的なものにしても、治療に時間がかかると思った。
半年かもしれないし、何年かかかるかもしれないし、わからないけれど、

私と同じような鬱で苦しんでほしくない。
と思う。

障害や、傷は小さいうちに直さないとどんどん大きくなる。
物や仕事でも同じように、心も同じである。

自分にとって、最も大事な物(人)を見て見ぬふりしない方が良い。
障子の穴のようにどんどん大きくなり、全てを張り替えないと…
とモノのように考えていると、人間は怖いモノになる。

あの時、ああしていれば…
でも、あの時は忙しかったから…
仕方ない、仕方ない。

そうしてみんな、何かしら捨て、我慢して、歯を食いしばって生きている。

だから、人は取捨選択を誤らず、行動することが大事だ。
誤れば、反省し、訓練しなければならない。
それを積み重ねていく。
行動できるようにしていく。
大人になるということは、そういう事だと思う。