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hacocoroを卒業し、 MONOTORYへ。

2020年3月31日をもって長年お世話になったhacocoroを卒業しました。

▶︎hacocoroとは
https://hacocoro.com
”ココロつながる、リノベーション・パーティスペース”

パーティ事業をやっているhacocoroの3月は盛大な繁忙期だったはずなのですが、まさかの新型コロナウイルスの出現により何かとバタついていてゆっくりと話しをすることが出来なかったメンバーも多いため、約7年間の振り返りと、今後やりたい事をここに記そうと思います。7年間をnoteの1ページにまとめるのは全然無理だったので、これを機に少しずつ備忘録として書いていこうかと思います。


1.株式会社アプトとの出逢い

2018年4月1日に株式会社アカツキライブエンターテインメントと合併した株式会社アプト。

株アプトが産まれたのは
2010年11月15日。

一言でいうと、家族みたいな会社でした。

当時20代半ばのわたしの生活はというと、踊ってダンスで食べていけたら幸せだなぁと夢をみつつ、某ファストファッションのセールスアソシエイトとして働きながら、ダンサーへの衣装制作やヨガのインストラクターをし、どうやって日々食べてゆくお金を稼ぐか切磋琢磨する毎日。

恥ずかしながら貯金はほぼありませんでした。

その頃、一緒に活動していたチームで株アプトの2店舗目である池袋のパーティスペース『1K ~Tokyo Share Dining~』でのイベントに出演した日が、のちにめちゃくちゃお世話になる株アプトとの出逢いの日。

ご縁があり、アルバイトとして入社し、約1年間のアルバイト期間を経て気付いたら社員になってた。そんな感じでした。

「365日に+aの彩りを」といったコンセプトの365+【サンロクゴプラス】というサービス名で結婚式二次会をはじめ、なんでもない飲み会やお誕生日会、送別会、追いコン等々。特別な日も、そうじゃない日も最高な一日となるようパーティプランナーが全力でサポートする。

そんなサービスです。(これがのちのhacocoroとなる)    

毎日がスペシャル。
毎日がスペシャル。
Everyday is  a special day.

と、竹内まりやさんの名曲を頭で奏でながら毎日パーティしてました。

繁忙期の12月と3月は毎日のようにテキーラが空いて。3月の卒業の時期はGReeeeNの『キセキ』を毎日流して。卒業していく学生さんのスピーチをする姿を見ながらうるうるして。

日々全力疾走で、もはやプライベートと仕事の区別はゼロに等しかったです。  

激務だったけど凄く楽しかった。  

“会社=家族” みたいな感覚だったので家族のためにみんな全力投球してる感じが実際には見えなくても伝わる規模感で。

朝はちっちゃな事務所で全員で顔を合わせて、時には全力でぶつかって悔しくて泣く。新規出店の時はみんなで喜んでsnsでシェアしまくって。

代表がとても愛のある人で “お前らは俺が全員しあわせにする”って本気で思ってることが伝わってくるようなトップでした。ぶつかることは沢山あったけれど沢山尊敬していたし、まともな社会人経験がなかったわたしにとって本当に多くのことを学ばせて貰った場所です。    

そんな株アプトもメキメキと成長を遂げて仲間がどんどん増えてゆき、創業期から拡大期に入り、いわゆる“30人の壁”のようなものにぶつかり始めたのはhacocoro9店舗目である赤坂『Corus』が出来た頃かなぁと記憶しています。

それまでは、たとえ目に見えていなくても信頼しきっていたチームだったはずが、ふとした瞬間になんだか自分だけが必死に走ってる感覚に苛まれたり(全然そんなことないのに)、一緒に同じ方向を見て走って来たメンバーがどんどん卒業していったり。

成長過程で必ず通る道だと頭では分かっていても、それまでと同じようにはいかないことが増えていきました。


2.会社に所属してみて変わった景色

これまでの人生で、私は一度もいわゆる就活というものをしたことがありません。これまた恥ずかしいお話ですが。

ダンサー時代に、やりたい仕事のオーディションを受けることはありましたが、入りたい会社というのが私の脳内になく、友達が当たり前に就職活動し企業に就職していく中、どこかの会社に所属をするという選択肢が全く頭になかったんです。

だから、両親には凄く心配をかけたと思う。

自分のことは自分で決めさせてくれたし、小学生の時も『勉強しなさい』とか『宿題やったの』とか言われた記憶がなくて。勉強は全くやらなかったけど、興味のあることには昔から没頭し過ぎるタイプでした。

でも、初めて入りたいと思った“会社”の中でやりたくないことも嫌いなこともやらなくてはならないシーンにようやく出くわして、全く好きじゃなかった“数字を追いかけること”に面白さを覚えました。

会社に所属したことで、様々なバックグラウンドのある仲間と出逢うことが出来て、同じ方向へ向かって一緒に走る楽しさを知って。人生がより面白くなってきた。


3.自分なりに残せたもの

hacocoroのサービスとは一体なんなのか。

一言でいうと『心ふるえる体験』を届けることです。

隣にいるのが当たり前になっている大切な人に、普段伝えられていない感謝の気持ちを伝えるキッカケをつくったり。まるでLIVE会場のような一体感のある空間をつくるお手伝いをしたり。知らない人同士がハイタッチしちゃうような盛り上がるゲームを提案したり。

この仕事の醍醐味は、様々なお客様の“人生を知る”ことが出来ることかなと、思います。

親御さんからのメッセージからその人の歴史を知る。とか、夫婦二人の打合せの時はぶっきらぼうな旦那さんなのに友人と話す時はこんな顔するんだ、とか。

人が涙を流したり、一緒に爆笑したり、皆で踊ったり。

hacocoroのパーティをキッカケに、いつしか出来てしまった家族内でのシコリがほんの少しだけ和らぐことや、疎遠になってた友達とまた再会出来ること。社内コミュニケーションが活発になること。夫婦仲が良くなること。

このサービスにはそんな力があると本気で信じています。

パーティの後にお客様から嬉しい連絡を頂戴する度に、少しだけ世界を変えるキッカケの0.001歩くらいをつくれたんじゃないかと感じます。

日々、様々なことが変わっていく中、大事に思っていることはずっと変わりません。  

『大切な人に
想いを伝えるキッカケが増えることで
人にやさしく平和な世界になりますように。』

(2015年9月18日の自身のfbより引用)

戦争や貧困、孤独死なんてない世界になったらいいです。  


4.これからも大事にしたいこと

創業期にプレイヤーとしてがむしゃらに爆走して来たため、私はマネジメントの経験が乏しく、また育った時代がいわゆる教育体制が整っているフェーズでなく、OJTの“O”の字も聞かない状況で感覚で仕事をゴリゴリ回して来たため、『わたしには、マネジメントの基礎が全くないじゃないか。』と、気付いたのはマネージャーになった後でした。

自分では感覚で出来るのに、どうやってやるかのHOW TOが自分でもキチンとまとまっていないから人に上手く伝えられない。(そしてそのHOW TOを自分は全く必要としない)    

来た球を無我夢中で打ち返しているうちに気が付いたら目標達成してたタイプだったので、がむしゃらなプレイヤー時代には戦略なんて考えたこともありませんでした。そんな中、社内MVPで表彰して貰った時は内心驚いたしめちゃくちゃ嬉しかったです。

今、振り返ればよくやってこれたなと思います。

でも、いくら綿密な作戦を練っても予測不能な事態にもでくわすし、時代はどんどん変化する。その変化に対応する際に、私はやっぱり自分の直感を頼ってしまいがちです。

●ブレない自分の軸をもって誠実にやり続けること
●自分にも人にも嘘をつかないこと

自分の心に正直に人の喜ぶ顔を沢山見られる世界をつくっていきたいです。


5.強く共感したアカツキのvision

「自分は何が好きなのか」
「自分は何に一番価値を感じるのか」
「自分は何をしている時が一番幸せか」

そういった部分を大事に、本能に従って生きて来た私にとってアカツキの経営理念はなんだかすっと心に響きました。

https://aktsk.jp/company/vision/
A Heart Driven World.
ハートドリブンな世界へ

人前で泣くとか怒るとか一般的に“負の感情”とされるものを仕事中に出すことを散々怒られて来た20代。中々の消化不良だったことが、『あ、それでもいいんだ』と、肯定してもらえた気分でした。

自分の人生観とかなりリンクするvisionを掲げる会社のグループ会社で働いていられることに凄く良い刺激を貰っていますし、感謝しています。

一生、ワクワクして生きていたいです。


6.次なる挑戦は、自分の手で作るモノでファンをつくること

わたしはこれまでのプランナー人生で、weddingパーティなどの会場装飾を担当させていただく機会に多く恵まれました。

『視覚的にワクワクして貰う』 

人間の持つ五感の中で特にわたしが大事だと強く思うことです。

もちろん見た目だけじゃなくて美味しい料理も、聴こえてくるBGMも、円滑なオペレーションも、全部全部大事。

でも、料理がより美味しそうに見えることに拘ったり、テーマや雰囲気にそぐわないアイテムが会場内にあったりすると、どうしてもどうしても気になってしまって。

『ゆみさんは、見た目のこだわり強いっすよね。』

同僚に言われて、それまで自分では“当たり前”と感じていたことが“こだわりが強い”と分類されるのか、と気がつきました。

そんな中、記録用でsnsにアップしていた装飾写真のスクショと共に『これがやりたいです!』とお客様からご要望をいただいたり、装飾を担当した会場にお越しいただいたゲストから『私のウエディングパーティでも担当して欲しい!』と、ご指名で依頼をいただいたり、

個人でハンドメイドの販売サイトに出している作品に注文が入ったりするうちに、自分のつくるモノで人を笑顔にすることが出来るのかも、と凄くワクワクしました。  

自分の手から産まれたモノが指名買いされる。とても嬉しいことです。

何より、作っている時間、考えている時間、そのものがたのしい。  

2019年3月に誕生した横浜駅直通の複合型体験エンタメビル『アソビル』の3Fに国内最大級のものづくり体験施設『MONOTORY』が産まれた時から、いつか行きたいとこっそり心の隅っこで思っていました。

▶︎MONOTORYとは
https://monotory.me

新しい場所で、新しいスキル (デジファブ )を身に付け、ものづくりの世界で邁進してゆきたいと思います。

ここからの人生もまた楽しくなりそうです。

コロナ情勢で大変な世の中ではありますが、わたしはわたしに出来ることを全力でやっていきます。


最後に大好きな言葉を。

自分の感受性くらい 
自分で守れ 
ばかものよ

『自分の感受性くらい』より

長文失礼しました。
読んでくださりありがとうございます。  


渡邉祐美  

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