見出し画像

「しっぽを掴む」それがはじまり。ところで主婦ってなんだろう?


あなたは社会のどの位置にいますか?


「主婦」

年上のお隣の奥さんは、「奥さん、きょうは風が気持ちいいわねぇ」なんていつものように声をかけてきます。20数年も前からずっとそう。考えてみるとお隣さんは一度もわたしの名前を呼んでいないのです。ですから地域でわたしはまちがいなく「主婦」なのです。

けれど職場ではもちろん名前で呼ばれてましたし、講師時代は先生と呼ばれていました。誰もわたしを「奥さん」なんて呼びません。

だから、時々わからなくなるのです。「主婦」っていったいなんなんだろう…と。



アグネス論争

かつてアグネス論争なるものがありました。それは1988年に新語・流行語大賞をとっています。つまりこの論争が世間の話題をかっさらったということ。

事の始まりは、アグネスちゃんさんが第一子を職場へ連れていかれたこと。それがちょっとした騒ぎとなり、やがてそれは社会問題にまで発展したのです。

でも…どうしてそれほどまでの大騒ぎになったのでしょう?

その時のアグネス・チャンさんは「主婦」だったのでしょうか、それとも働く女性だったのでしょうか?

そこのところが、なんだかよく分からないのです。



いまでは普通

有名人であるアグネスちゃんさんは、きっとその当時、自分や家族を養うぐらいは稼いでいたはずです。それなのに彼女の暮らしの中のほんのわずかな母や妻の部分が世間に引っ張り出されて問われたのです。そう、表に引っ張り出されたのはアグネスさんの「主婦」の部分。

でも、それはすでに時が証明しています。

今では誰もそんなこと口にさえしません。

リモートワークが普通になった今、多くの女性が子どもを隣に座らせ、同じ部屋でオンライン会議に出席したりしています。

もちろん「主婦論争」について話したいわけではないのです。

それでもなんだか引っかかるのです。「主婦」っていったいなんなんだろうと。



あれほどのバリキャリな人がわたしと同じ?

いつの事だかはっきりとは覚えていないのですが、NHKで朝、深刻な顔をした一人の女性の顔がアップになりました。近づいてみるとその人は涙ぐんでいるのです。

で、その女性はこんな話しをしていました。

…かつては大企業で働いていて部下もいました。でも、小さな子どもがいると再就職ができないんです。パートしかないんです

と。

その人は、ずっと「働く人」でいるはずだったにちがいないありません。

ところがその人は「働く人」から「主婦」になってしまったのです。輝かしいキャリアを持つその人が、わたしと同じ「主婦」枠に放り込まれてしまったのです。

だから思うのです。その人もきっと知らなかったのだろうと。

どう生きたらよかったのかを。

なにしろ、「主婦」の情報は軽んじられます。

多くの人の頭の中には主婦のイメージがクリアにあります。でも実のところ、それはほんの一部の情報にすぎないのです。そのイメージの中には、先のバリキャリの彼女のような、ちょっとスペシャルな女性の情報は含まれていません。そう、誰もが抱く主婦のイメージは、ゆるゆると気楽に暮らす女性ばかり。

とはいえ、「主婦」の情報をわざわざ取りに行く人もいません。それは、世に問うほどのことでもないと捨て置かれたままなのです。

ですから、本当は誰も、主婦の情報をきちんとは掴んでいないのです。



「しっぽ」がきっかけになることも

世の中をざわつかせたあの「アグネス論争」。それは、アグネスさんがはじめての人だったから起こったはずです。

はじめての人はきっと小さな波紋をつくるのです。

ちょっとだけ世間の枠組みを越えていく人。

すると、その人の動きは、途端に周りを落ち着かなくさせます。なんだ、なんだ、なんだ、と。その波紋の周りにあつまるのは男だけじゃなくて、そこにはたくさんの女も加わりはじめます。

それがいいと思うのです。

きっと、わたしたちにはそんな変化が必要なのです。異なる当たり前を身に着けた人と出会う、その時、そこに隠れたなにかが姿をあらわすのです。

それはしっぽだけの時もあるでしょう。でも、そのしっぽがいいんです。

しっぽさえも見えなければ、それは永遠に隠れてしまうのですから。



おわりに

主婦というカテゴリーにいる人はそれぞれです。ほんとうはそんな乱暴な括りで主婦が語れるはずがないのです。特に日本の主婦は。

なぜって、日本の主婦はとても巧妙に作り出された女性の生き方なのですから。

しっぽを掴む、その時がきっとなにかのはじまりです。ぼんやりとごわごわとした何か、そんなものと向き合うことがわたしたちには必要なのです。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?