花に他人が賭ける言葉

「そうさ僕らは 世界に一つだけの花」とは素晴らしい表現で、人それぞれの個性に全く同じものなどなく、それぞれが一つ一つ自立していることがよく表されていると思う。それぞれの個性が、それぞれの色で、この世という花畑に咲いている。

 一方で、他の人のように輝けるとは限らないという、世界の厳しさも孕んでいると思う。
 花が美しければ周りに人が集まってくるし、醜ければ人は寄ってこない。ここで言う「美しい」とか「醜い」は容姿だけじゃない。容姿も声も目つきも性格も考え方も生き方も、その他の要素も全てひっくるめた「個性」のこと。ただ生きてるだけで、多くから愛されるかどうかの差がつくこの世は残酷。

 残酷とは言ったが、どんな花でも見る人はいて、必ず声をかけるだろう。その声が何の力も持たないなんてことは少なくて、必ず何らかの形で作用する。
 強く根を張らせるかもしれないし、茎を太くするかもしれないし、花をへし折るかもしれないし、花を枯らすかもしれない。
 声をかけることは、その花に「こうなってほしい」と賭けていることと同じだと思う。賭けとは言えども、絶対に損はしない無責任な賭け。勝手に期待して、その期待に賭けるだけだから、声をかけた人に失うものはない。
 世界に一つだけの花がしっかりと咲き誇るためには、元々の丈夫さももちろん大切だが、周りの人々がかける言葉、賭ける期待も大きく影響する。

 何を言いたかったのかというと、一人の人間を美しくするのも醜くするのも、他人の言葉だということ。無責任な言葉の海の中で、私たち一輪の花自身ができることは、どんな言葉も糧にできる強さを持つか、糧にできる言葉をくれる人の近くに居るかだ。

 両方を得られたら最高に最強だね。

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