Musica

 音楽は宗教と同じだと、たびたび思う。

 歌う人、作曲する人、ユニット、グループ、いろんな形で届けられる音楽。その中には、音楽を届ける人によって異なる想いが込められている。同じようでも、表現や説得力が少しずつ違う。
 想いを言葉として表現して、音に乗せて届けるのが音楽。音だけでも、陽気さやきれいな風景、または不穏さを表現するのが音楽。
 それぞれの音楽が届けてくれるものに共感した人、表現されたものの正しさを信じた人が集まる。そして、鳴り続ける限り、ずっと着いていく。音を鳴らす人に近づこうと、ファッションを真似たり、表現方法を真似たり、同じものを使ってみたり。
 宗教というものがどんなものなのかすら、僕の中ではあやふやだけど、見た光景や自分の経験から、最初の言葉のように感じる。

 僕の場合、特に星野源さん、ツミキさん、北澤ゆうほさん、椎名林檎さん、はつめさんの5人が見せてくれる世界や発した言葉に魅せられていると自覚している。精神的に救われたこと、はっとさせられたこと、この人のこの価値観を同じように持ちたいと思ったことがある。
 普段から宗教だと思っているわけではないけれど、客観的に自分を見た時に、音楽を通じて届けられる思考や想いに救いを求める様は、まさに宗教のようだと思った。

 音楽は、オリジナルを奏でた人がいなくなっても、何らかの形で半永久的に残る。聴く人がいなくならない限り、音楽がなくなることはない。円盤として残ったり、電子データとして残ったり、記憶として残ったりするから、鳴りやむことはない。奏でる人を変えながら繋がっていくこともある。いろんな人に、いろんな形でcoverされながら、後世まで残り続ける。
 そもそも、音楽の始まりはコミュニケーションや、人と人との繋がり・絆という研究があるそう。今でも、アフリカのある地域では日常的に大勢で太鼓を叩き、手を叩き、歌を歌って生活する人々がいるらしい。それが人々の繋がりを生んでいるし、歌い継がれることで文化として残り、生活に根付いている。
 例えば、狩りに向かうときに、狩りの成功を祈って歌う。そして、その歌は親から子へと引き継がれ、村の一体感が崩れることがない。
 その時以外でも、日常的に、頻繁に大勢で歌うらしい。「音楽を奏でる」という特別なことをする意識ではなく、音楽が生活の一部に組み込まれている感じ。人の繋がりを作るだけではなく、生活を支えている存在が音楽だと言える。

 人の繋がりを作り、生活を支える性格をもつ音楽は、やはり宗教と同じだと言えるのではないだろうか。

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