慣れや習慣が奪う身体感覚(2) お腹のもたれ感

ある日、夕食の時間になってもお腹がもたれ、お腹が空いた感覚がないことに気付いた。それでもいつもと同じように食べられたし、食後にはたまたまテーブルの上にあった頂き物の和菓子もデザートとして食べることができた。
 しかし寝る時間が近づいても、まだ胃のあたりの重い感じが取れない。気になってネットで調べたら、食べものが胃に滞在する時間は平均2~3時間、肉や天ぷらなど脂肪分の多い物だと4~5時間かかる、とあった。「であればそろそろ胃が空っぽになってもよいはずだが、どうしてなんだろうか」と考え始めた。
 すると、「そういえば最近は外食の機会が増えているし、食べる量も増えているようだな。さっきも和菓子をたいして美味しくないなと思いながらも結局全部食べてしまったし」と考えたり、「ここ何年も胃の検査をしていないな。職場仲間のAさんが、人間ドッグで早期胃ガンを指摘され、最近手術をしたという話を聞いて、そのときは自分も検査をしなければと思いついたのに、その内にと思っている間に結局うやむやにしてしまったけど、やっとけば良かったかな」などと連想が広がった。
連想は床に就いた後も続き、自分が大きな病気をしたときの備えが不十分なことや「もし死期が近いということになったとしたら、今やるべきことはなんだろうか。それにしても、今までなんだか中途半端なことばかりして、こんな人生、何か意味があったのだろうか」などと思考が巡り、寝ついたのは明け方近くになってしまった。
 翌朝、目ざましの音で目覚めたが、いろんなことを考えためか身体が重い。朝食はコーヒーだけにしようとも思ったが、妻が「昨夜の残り物を食べてほしい」と言うので、いつもよりむしろ余分に食べた。
 お昼休みになった。お腹のもたれた感じは依然として取れていない。職場から出たものの「いつもの定食屋にするか、それとも食欲がないので別の店にするか」と迷い、なかなか決められない。そんなとき、ふと「そうだ食事を抜いてみよう」と思いついた。よく考えればお腹がもたれているし、食欲がないのだから、食事を抜こうという発想はごく自然で、むしろそう思い付かなかった方がおかしい。
 いつものように仕事を終え、帰り道を歩いていると、普段は気にならないのに鰻屋からの香ばしい匂いが漂ってきて、「食べたい」と感じた。そう感じて、ふとお腹に注目すると、空腹感が戻ってきていた。
 なんだ「たんなる食べ過ぎだったんだ」と気づき、昨日から続いた気の重い感がもすっかりとれた。時間になったらお腹の減り具合とは無関係に食事をするという習慣が身体感覚を尊重することを忘れさせていたようだ。

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