挿絵のやくわり

『龍の王女と大釜の魔女』日曜ゲームブックで配信が始まりましたね。
私は書籍版の(冒険記録紙含む)挿絵10点あまりを担当しました。

でも文章さえ読めれば絵なんてどうでもいいよ、という方、
けっこういらっしゃるんじゃないかと思います。
でもね、挿絵にも役割があるんです。
描く側も、けっこういろんなことを考えて描いてるんです。

というわけで、私が考える挿絵の役割、何を考えて描いてるのか?
少し書いていきます。


以前少しツイートしましたが、
挿絵とは
「読者がその作品をより楽しめるようにするため、
読者の想像を補助するものであると同時に、
読者が自由に想像する余地を残さなきゃいけないもの」だと考えています。


まず「想像を補助する」
文章だけだとビジュアルイメージが伝わりにくいモノを描いて、読者の頭の中のイメージを明確にする手伝いをする。
これは挿絵の役割として、とてもわかりやすいと思います。


もうひとつ。
「かつ、自由に想像する余地を残す」
この役割こそがいわゆる一枚絵のイラストと、挿絵のいちばん大きな違いなんじゃないかと思います。

たいていの場合、挿絵は一枚絵としては物足りないくらいの描写がちょうどいい。
もちろん作品緒傾向にもよるけど。

先ほど書いたように想像を補助するために、ある場面を具体的に描いたとします。
具体的に、具体的に。
そうすると、何が起こるか。

具体的な絵のもつ力強さ(説得力といってもいい)が、
読者が文章を読んでそれぞれ自分の頭の中にぼんやり形成したイメージを、
吹っ飛ばしてしまうことがあるんです。

強引に、絵のイメージのほうに頭の中を書き換えられる感じです。
その絵を見た瞬間に、自分の頭の中のイメージが消失してしまう感じ。
皆さんも経験ありませんか?私はあります。

そういう絵は、おそらく「一枚絵」としては完璧です。
だけど、「挿絵」としては完璧じゃないんです。
だから先ほども書いたように
たいていの場合挿絵は、一枚絵としては物足りないくらいの描写がちょうどいい。


この「想像を補助する」と「自由に想像する余地を残す」バランスをどうとるか、
挿絵を描くとき、私はいつも考えて描いています。
このバランスの試行錯誤、これが一番大事なことです。
はい、言いたかったことやっと言えた。


『龍の王女と大釜の魔女』の場合。
まず主人公たちの顔を描かないことで「自由に想像する余地」を残しています。
(ただこれは想像の余地を残すというより、主人公になりきる手伝いをする、という役割が大きいですが)

そして主人公たちが出会う未知の生き物たちは、そこそこ具体的に描く。
なぜなら出会う生き物たちの見た目が具体的であるほど、その冒険のリアリティが増すからです。
ここでは「想像を補助する」役割に重きを置いて描きます。

一方、みんなが知っているもので、とくに個性的な描写のないものの場合。ただの「吊り橋」とか。
吊り橋と言われれば、みんな具体的に映像が思い浮かびますよね。
なのでイラストの補助は必要ない。
なので吊り橋の場面は描きませんでした。


描くものはどちらの役割に重きを置いて描くか。そもそも、描くか描かないか。

こういうことを、なんども作品を読みながら作品の個性と照らし合わせながら決めていくのです。
そうして挿絵を描き上げていくのです。


ここまではどの作品に挿絵を付ける場合にも考えるベース。

そしてもうひとつ、今回取り入れた大きなことに
「文章と絵の融合」があります。


より文章の世界に入り込むため、
文章の中に絵を組み込むスタイル。
(これの絵の比率が大きいものが「絵本」ですね。
私は昔は絵本も描いていたので実はなじみ深い手法なのです)

画面の周囲を絵が覆ってその中に文章を入れたり。
画面の中央を絵が貫いていたり。

『龍の王女と大釜の魔女』では、
この工夫も随所にしています。


ほかにも気を付けていることは山ほどありますが、
さらっと箇条書きにして終わります。

・絵を置くのが右ページか左ページか(すべての作品で重要)
・黒と白のバランス
・無個性なタッチで描くか個性的なタッチで描くか(作品傾向による)
などなど、などなど…


というわけで、挿絵に興味がなかった方に、挿絵にも興味を持っていただけたらいいなと思いここまで書いてきました。
絵を見てもらえると嬉しいからね!
結局言いたいのはこれですね。
よろしくおねがいします!

拙い文章読んでいただきありがとうございました。

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