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読みたい:『死を受け入れること』養老孟司・小堀 鴎一郎

「死亡時刻なんてとても書けません」
養老孟司さんがそう言ってくれるなら、とホッとした。

この春身内が亡くなった。それからほとんど毎日、死んだ人はほんとうに死んでいるんだろうかとしつこく考えている。生きているときだってあまり会えなかったんだから、会えないことが死別ではない。むしろ毎日考えているんだから、毎日会ってるんじゃないのって思う。というか思いたい。

社会的な決まりごととしての「三人称の死」と、客観的な基準のない「二人称の死」死にもいろんな種類があるらしい。


この記事の最後、「『本人』がノイズになる時代」という言葉がある。
銀行で免許証や保険証がなくて本人確認が取れないと言われたエピソードは、笑えないものだと思う。銀行員さんは、この人が養老孟司さんだとわかっているのに!

これからの時代テレワークがふつうになったら、「本人」がいらなくなるのかなあとぼんやり思った。成果主義を突き詰めていったら、その人らしさみたいなものって透明になっていく気が。

電車のなかの人が全員マスクしていても思う。場所も取るし、ニオイもするし、唾液もとばす人間のカタマリが、自分のからだをもてあまさず生きるためにはどうしたらいいんだろうなあ。

うめざわ
*ということで、読みたい本。

気になる目次…「医者の仕事って何だろう?」
知り合いのお医者さんは、「納得して死んでもらうこと」って言ってた。身体のケアじゃないことに、軽く驚いたのだった。






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