サーカスの少年

サーカスの少年


 ある時、私が通っている小学校に変わった転校生が来た。
各地方を巡業するサーカスの団員の男の子であった。地方を転々としているせいか何か雰囲気が違う。だが、私は彼とすぐ仲良くなった。
 彼はいつも一人鉄棒でしなやかな身体を使って練習していた。彼は三カ月もすれば又違う土地に移動する。すぐに別れる友達は作らない方が気楽である。私は、彼にある種の憂いに似た孤独のようなものに興味がわいたのだろう。しかし、彼を捕えるのは簡単であった。彼は環境のせいで他の同世代の者より体力には自信があったからだ。私はとんぼ返りや鉄棒で回転することは出きなかったが相撲が強かった。
 私は彼に言った「相撲は強いの?」と。彼は、私に負けたことでよほど悔しかったのか、何度も私に「もう一回」と言って挑戦してきた。彼はどうしても私には勝てなかった。
 彼の自信は体力であった。幼い頃から身体を鍛えさせられる。彼は相撲でも腕相撲でも自分の力には自信があったのにそれが崩された。彼はついに疲れて「負けたのは、初めてだ」と言った。
彼は村はずれの一本松公園という所で家族と団員と暮らしていた。大きなテントが張られていた。私は彼の所によく遊びに行った。彼も私に対しては何か似たものを感じたのだろう。故郷を喪失した者の孤独に似た感情をである。
 私の同世代で共感出来た数少ない一人であった。だが、彼もすぐいなくなった。
 
               *

 後年、私は近代の哲学者、文学者、詩人達が謳った孤独は私にとっては日常の中にあった。根本的な違いは私にはそれが生々しい日常生活であったということである。
私には、敢えて言葉にして言う程の事では無かった。孤独とは社会生活に於いて対人間関係性の方法喪失の自覚化にほかならぬ。近代の心理学、哲学者の分析は私の日常的生活に全てあった。ただ、専門的な概念的言葉を私が知らなかっただけである。哲学者達、文学者達の苦悩も孤独も彼等は人間社会という既知の幻想に捕われて、その実体を知った時に感じた不安や孤独が生存自体の意味の混沌たるなかでの「あがき」の姿であった。己の依拠する土台が消失したのである。

 東洋の無常観も、西洋の無知の知も単に言葉の違いにすぎない。
 近代人の受難とも謂える悲喜劇は相対的意識が観念化、自覚されて無方向となり、それを自覚した問いが個人の自我の中心課題となった事に起因する。私の子供時代は、その近代人の悲劇的観念が私には日常的な感覚体験であったともいえる。

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