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『人間の教科書』 人=円=フラワーオブライフ=宇宙=縁

他者とはなんだろう? はた迷惑な人をどう考えたらいいんだろう?

そんな疑問を頭の片隅に置きながら寝ていました。
そしたら今朝「人も世界も円」なるワードを夢うつつのなかで頂きました。

円? 縁? 
考えていたら浮かんだのがフラワーオブライフのイメージ。

ぼくはフラワーオブライフのことはナオキマンさんの動画で見て、名前と宇宙を表した神聖幾何学上の図なのだってことくらいしか知らないのですが、
おそらく、この紫色の外円、最大の円が宇宙全体を表していて、「個」はひとつひとつの円、そして中心部オレンジ色の6枚花びらのフラワーを囲む赤い円、つまり「最小の円」が「最大の円」とメビウスの輪状に繋がっているんじゃないでしょうか。
全体は個、個は全体、マクロとミクロはイコールというやつです。

つまり、ぼくらは円環構造のなかで実は宇宙全体とつながってるってことですね。

えー、全然つながってる感じしないけど、って思いますよね。

ぼくもそうだったんですけど近ごろは「いや、そうでもないかも」と思い始めています。それはなぜか?
例えば、朝方こうして直感を得るのって、けっきょくこのフラワーオブライフの中に自分も存在しているためじゃないかと結論づけられるからです。

(※眠ってる間はインスピレーションを受け取りやすいみたいで、夜明け夢うつつの時間は日ごろ疑問に思っていたことの答えが自然に頭に浮かびます)

そういう視点で考え始めると、完全に独力での発明というのは実は存在しないんですよね。

例えば、ぼくが「フラワーオブライフ」という言葉を知ったのは、縁あってナオキマンさんの動画を見たからですし、ナオキマンさんも縁あってどこかの誰かからそれを知って紹介してくれているのでしょう。

フラワーオブライフの起源がどこにあるのか知りませんけど、おそらくこれぞ宇宙の姿だと気づいた方は縁あって、自然の中に黄金比だったり、フラクタルな構造を発見したことがきっかけなのではないでしょうか。

それは、つまり宇宙が教えてくれたってことだとみなしていいと思うのです。
(そして、その円と円の明示的な出会いがご縁ってことですね。)

「いや、宇宙は関係ない。俺が自力で気づいたんだー!!」

って言い張りたい方もいるかもしれませんけど、その方は単に「自分」という円の形を強調して、外側の円と区別をしたいだけでしょう。

でも上の図を見ればわかるように、自分を構成する円ひとつ取っても、すでに外側との円との関係で自己の円は構成されているんですよね。

まして自分の体は、心臓の働きを始め、自分であって自分ならざる働きがあって生命を維持できていることは、もう動かしようのない事実なわけです。

(※余談ですけど、このように主体感覚の中に強固なエビデンスが在るのなら、この主体感覚の中における証明、を社会全体に適用させていいではないかと思います)

つまりこの紫の色の外円を「人間」とみなすなら、内側を構成する無数の円はひとつひとつの細胞であり、素粒子です。

それらの働きを外側の円、つまりぼくがすべて統合し、あるいは享受して、ひとつのぼくという個として存在できているわけです。

そういう構造が宇宙全体まで広がっており、かつ最後は素粒子ひとつの中にメビウスの輪のようにしてつながっていく。
それが宇宙の構造なんじゃないかな―って勝手に直感しています。

でも、そうだとするなら食パンに「ありがとう」って言葉をかけると、食パンさんの状態が変化することの説明になると思うんですよね。

素粒子は宇宙全体と円環状に繋がっているので、「ありがとう」が理解できて状態に対して影響をおよぼすってことです。

それに「ありがとう」を唱え続けると、いいことが置き始める、というのもこのフラワーオブライフによって説明できる気がします。

自分が今ここで「ありがとう」と唱えることは自分や、それを構成する細胞や素粒子をはじめ、宇宙全体へ「ありがとう」の想念をさざなみのように送ることになるんです、きっと。

独りきりの部屋で「ありがとう」って言ってたって、誰が聞いてるわけでもなにのに意味なくね?って思いますよね。

ぼくも最初そう思っていたので、ものすごく無意味ではないかという猜疑心の中で行っていましたし、意味分からんって感じでいました。

でもそれって「ここからここまでが自分」と考えている円が狭かった、ということなんだと今になってみると思います。
(というか、そもそも自分が重なり合いで構成されている、みたいな意識も、いわゆる自我が肥大しすぎてて希薄だったんでしょう)

つまり「ありがとう」ってここで詠唱することは、自分の細胞や周囲に対して、そして宇宙全体に対して「ありがとう」って言ってることになるんです。
だから向こう側からも「ありがとう」がやがて返ってくる場合もあるってことなんじゃないでしょうか。

白状すると、ぼくは当初この神秘的な力で宝くじ10億円でも当てられないかなんてことを考えていたんです(だってにんげんだものw)。

でも、まぁ色々ありまして最近は「うん、神様は必要な分は必要な時に、ちゃんと授けてくれるから大丈夫なんだなー」となぜか自然に思えるようになってきたので、以前のようにジタバタしなくなりました(煩悩ゼロになったわけではないw)。

げんに、ありがとう習慣を始めたせいか分かりませんけど、普通絶対ありえない角度から嬉しい話が舞い込んできて臨時収入が生じたり、という、よく世間で言われていることは、確かに幾つか最近あったんです。
これは本当にびっくり。「ああ、マジなんか。すごいな」って思いました。

でも、ここで言いたいのは、ありがとう習慣してるとお金が儲かるよってことではなくて「感謝しながら自然とご縁と調和して生きていれば、自然と最適化するのだろう」ってことです。

そして、そう思って生きなさい、ってことを、ちょっとした臨時収入の形で神様が教えてくれたんだな―、神様ありがとう!って思ってます。

それに僕は2月1日から2日にかけての件もそうですが近頃、頭に「あ、これってこういうことなんだ」とひらめいたほとんど直後に、偶然手にとった本や生活圏の誰かが発した言葉に、それと同様のことばが語られていてびっくりという経験を、大小様々ですが、ほとんど毎日のように経験しています。

(※最近やっと初めて読んだ小林正観さんや伊勢白山道さんの本にも(内容を知ってて手にとったわけでもないのに)自分が直感を得ていたのと同様のことが書いてあり、驚きつつも背中を押されたような気になりました)

これは、おそらく答え合わせをしてくれているんだと思います。
「そうだよ、それでいい」って。

以前までなら「偶然」のひとことで片付けることも出来たと思いますが
いや、こうも偶然が続くとは考えられない、むしろこれは見えない繋がりがあるためだと考えたほうが自然だし、合理的だなって思えます。
それがシンクロニシティというものでしょう。

なのでそう考えると、この世に「偶然」は実はひとつも無くて、すべて周囲の円との「必然」で成り立っているとも言えるわけです。
シンクロニシティも必然です。
(必ずしも全部、自分だけにすべての原因が在るという自己責任論を言いたいわけではありませんので誤解なきよう)

このフラワーオブライフを土台にして考えると「はた迷惑な他者」に対しても、どのように意識を持って接していけばいいのかが見えてくるような気がします。

結論:人は円が重なり合ってできた円、その円は宇宙全体まで繋がってる

ひとまず長くなってきたので今日はここまで~。
今日もお読み頂き、ありがとうございます。

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