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【シンクロニシティが起きる理由】

知ってましたか?
心臓は感情に応じた強い電磁波を発していて、その電磁波は周囲の人にも影響を及ぼすんですって。
以下、記事の一部引用。

まず感情は脳だけで生成するものではなく、心臓と脳のチームワークで生成されるものだというポイントが一つ。2つ目のポイントは、特に心臓が発信するポジティブな感情の電磁波は、脳をシンクロさせ、身体の細胞すべてをシンクロさせる、ということ。3つ目は、電磁波は自分の身体だけではなく、近くにいる他人の身体にも到達する、ということ。

 「元気をもらう」の正体は心臓から出る電磁場

Misaspi 魂の座標さんの記事でも紹介されていました。

この記事の内容、初めて知ったんですけど「ああ、やっぱりそうなのか」とこれまで抱いてきた疑問の数々が線として繋がってストンと腑に落ちた感がありました。

一瞥体験以降のさまざまな不思議なできごとを、ひとつの理論で説明できる気がしたので記事にしてみました。

【結論】
人間とは、そして意識とは音叉みたいなもの。
そのため今、自分が発した振動数通りの出来事が共鳴として生じ、その振動数通りの人生になっていく、というのはホントの話
(※正確に言えば「その人が放つ振動数」以外にも結果を左右する要因はあると思うのですが)

また、シンクロニシティが生じる理由は音叉の共鳴
生じる出来事とは自分が発した振動数に対するレスポンス。

そして出来事とは、まさに振動の在り方そのものです。
もっと言えば、この三次元世界にあるものは、
物質も、それらが織りなす出来事も、すべてが振動です。

物質(人間も含む)を様々な音ないし楽器に例えるなら、
さまざまな物質の状態変化の連続と交差、
すなわち出来事は、その奏でた音を組み合わせた音楽です。

音同士がぶつかれば、それが調和してハーモニーになることもあれば不協和音が生じる場合もあります。

そして、この楽器は楽器であると同時に、それ自体が互いに他の音からの影響を受けやすい共鳴板みたいなものです。

すると、その人が放っている振動数に共鳴・共振しやすい人々のみならず、出来事さえもが集ってくるというわけです。

げんに、この記事をこの箇所まで読んでくださっているということは、少なからず共振する部分があったからではないでしょうか。

ここで強調しておきたいのは
「出来事」も振動だってことです。

そしたら出来事自体も共振して互いに引き合ったり、その結果として強め合ったりするんじゃないでしょうか。

メルヘンな人はメルヘンなカフェでメルヘンなスイーツを食べてメルヘンな気持ちになるでしょうし、
ヤクザな人はヤクザな人とかち合ってヤクザな死闘に巻き込まれ、Theヤクザな物語を生きることになるでしょう。

これが、いわゆる引き寄せの法則ってやつですね。
あるいは鏡の法則なんて呼ばれることもあります。
全部、同じ仕組みで起きています。

そして同時に、これこそがシンクロニシティが起きる理由でもあると思うんです。

一瞥体験をした直後から一ヶ月程度だったでしょうか。毎日のようにシンクロが起きる時期がありました。その頻度があまりにも高かったので「これはおかしい。何かがある」と思い始めたことから僕は科学とスピリチュアルを探求しはじめて、今に至ります。

つい最近も、家族ですごろくしてたとき、僕はコーヒー片手でした。そしたら百枚以上もあるイベントカードの束からコーヒーのカードを引きました。

だから何?って感じですかね。
(この仕組みを応用したのがタロットだと思うんですけど)

でも確かにこれひとつだったら別に偶然って感じです。

けど、すごろくも盛り上がってくると相手の失敗や不運を声高らかに願うような場面がありますよね。
すると、こういうときに限って高確率で、
その失敗や不運は、その気を放った人物の方に生じます

逆に相手の健闘を声高らかに祈ると、
相手にはもちろん
自分の方にも幸運が舞い込んだりします

これ、ほんと毎回起こります。
だからゲームが面白いようにドラマチックになるんです。
人生も同じなんじゃないですか?

タイガー・ウッズはいつも共にコースを廻る選手たちの健闘を祈っていた。だからこそ自分が勝ち上がっていたなんてこともよく言われていましたね。
万物に対してベストを祈る気を出しているから
けっきょく自分もベストな力を出せるんです。

人の失敗を願う人は、けっきょく自分の失敗に対するイメージも膨らんでしまい、けっきょく失敗に呑まれます。

すごろくした日だったかその翌日か、開花した百日草にカナブンが訪れて、ずっと葉っぱの上から動かなかったんです。
その晩、母がうちの子のために自作して送ってきた絵本を開いたら、その物語の中にもカナブンが登場しまして。

「え、またカナブン!?」って。

カナブンなんて、めったに見ないじゃないですか。
今は都会暮らしなので一年に一回も見ません。
三年か五年にいっぺんくらいじゃないでしょうか。
そのカナブンに遭遇するタイミングがなぜかかぶる。

この前も「ありがとう」ってつぶやきながらマンションに帰ってきたら、ドアで囲われてるエントランスホールの中に、なぜか、でかい蟻が十匹もいたんです。
一体どうやって入ったんだって。
エントランスホールは基本、虫が入る隙間もないくらいの場所なのに、なぜか十匹。
それで「パパが、ありがとう(蟻が十)って言ってたからじゃないの」って。

ひとつひとつは取るに足りない出来事ですよね。
偶然と解釈できます。
でもそんなことが毎日起きたらどう思います?
「あれ、なんだこれ。おかしいぞ」ってなりますよね。
それがまさに僕が身を持って体験した異常事態でした。

でも僕はこれらの実体験の理由を探ってきた結果、限りなく確証に近いレベルで「どうやら鏡の法則あるな」って。

最近、特に強くそう思うようになったのは、やっぱり脳波計瞑想を始めた影響かもしれません。

前にもちらと書きましたけど、集中すると蓮の花が咲くってアプリがありまして、これ蓮の花が咲くイメージを持つと本当に咲き始めるんですよね。

ここで「とりゃー!」とか「むむむ!」とか「ありがとう、ありがとう」とか無念無想とかやっても全然駄目で、
やっぱり(他の花ではなく)蓮の花が咲くイメージを持ったときにスムーズに咲くんですよ、ふしぎなもので。

もちろんアプリなので、特定の脳波に反応するように出来ているとは思うんですけど、蓮の花とチューリップを区別できるような精度があるとも思えず(あるのかな?)

別に脳科学やスピリチュアルを持ち出すまでもなく実際、険悪なムードのときにあえて明るく楽しくふるまえば、空気がほぐれて場が和んでいくってことは普通にありますよね

音叉を鳴らすと、隣においてあった音叉も共鳴して勝手に鳴りだします。つまり、これが引き寄せや鏡の法則、シンクロニシティのメカニズムですね。

とまぁ結論だけ見れば、目新しくともなんともない話でした。
僕が記事にするまでもなく、世の中で一兆回くらい言われてます。

ただ異常体験から半年以上が経過して振り返ってみると、限りなく確信に近いところで腑に落ちたので、こうして記事にしてみた次第です。

というわけで、いい気を出していきましょう
マジで起きる出来事が変わってきますから。
いや視点が変わると言ったほうがいいかな。
でも視点が変われば出来事も変わる気がする。

努力を実らせたりするのには時間がかかりますし、
結果にこだわることは本末転倒になりかねません。

だから
努力や結果より日頃の習慣の方が一兆倍大事です。

未来に何を成すかではなく、今どう在るか。
今の次の今も、その次の今もどう在るか。
けっきょく今です。

でも思う通りじゃない出来事が起きたら
「あ、今の自分、だめだったな。これだから自分は」
とか思ってしまいますよね。

別に思ってもいいんです。ネガティブ結構。
思うな、なんて言っても思ってしまうものですし。

けど、そのあと気持ちが落ち着いたら、
こう付け加えてあげてはどうでしょう。

「そんな自分も、ありがとう」
「そんな出来事も、ありがとう」

経験上それが一番うまくいきます。
「ありがとう」で全ての負をリセットできます。
その「ありがとう」で自然とニュートラルに戻れます。

小林正観さんは愚痴・悪口・文句・不平・不満、いわゆる五戒を言ってると「チーン」と鐘が鳴って「ありがとう」がリセットされるっておっしゃってましたけど、
「リセット」っていうのは方便じゃないですかね。
そうでも規定しないと
どうにも愚痴が止まらなくて「愚痴>感謝」になってしまう人は多分いますから。

感謝ってたぶんポジでもネガでもなく中庸です。
ありがとうってたぶん今のことです。
ありがとうはすべてを円でくるみます。

感謝してれば勝手にうまくいきますよ。
うまくいかないことがあっても
「ありがとう、ありがとう」って
感謝してれば勝手にうまくいきますよ。

というか感謝してる事自体が、
それ今すでにうまくいってるってことじゃないですか。
だから「ありがとう」はそれだけで既にゴールなんです。
人生最後に「ありがとう」って思えたら最高ですよね。
じゃ今からそう思えばいいじゃないですか。
「この今」はこの今が最初で最後なんだから
ならこの今から「ありがとう」って思えばタダの得です。

どうせ生きるなら、いつでもありがとうって言って軽やかに生きたいじゃんって、やっとそう思うようになりました。

というわけで
今日もお読み頂き、ありがとうございました〜。

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