『人間の教科書』ワンネスとは?意識とは?【誰もが経験済のワンネス】
※この記事を読むと、誰しもがワンネスを経験済で多様性は幻想であることが分かります。
このメッセージ、街中で突如言われたらどうですか?
先に言っておきますけど僕は『神との対話』三部作にはとっても感銘を受けた人間です。おそらくこの三冊は一生読んでいくと思います。
でも、こんなこといきなり言われたら
「え、無理!」
とか
「キケンキケン!緊急避難すべし!!!」
ってなっちゃうのが人情ですよね。
(まぁ偏見もあるかもしれない。だとしたら申し訳ないのだけれど)
そもそも「ワンネス」とか「神とひとつ」なんて言葉は、一般的にはハードルが高すぎる。
日常感覚から遠すぎる。
異次元の言葉ですよ、これは。
要するに精神世界と、それ以外の社会の間にある垣根が高すぎる。
まさに「世界はひとつ」どころじゃない。
あまりにもギャップが大きすぎて思いきり分離してしまうわけです。
なんなら「世界は一つ!」と言えば言うほど、それはスピリチュアル界隈だけで通用する閉じた概念になってしまうというか、より溝を深めて世界の分断に繋がることも否定できないわけです。
だから僕は双方の架け橋になりたくて、こういう記事を書いています。
そして結論めいたことを言うと、
「ワンネス」って異次元の言葉に聞こえるかもしれませんけど、
ワンネスの内実は、実はすでに誰でも経験済みのことだと思うんです。
僕が思う「ワンネスという仕組みが関与している場面」について列挙してみます。
超満員の満員電車に乗る場合、妙にストレスを覚える
ムードメーカーがいる場合、その場の空気が生き生きとする
誰かがイライラしているとき、こちらにもイライラの感情が伝染する
何か物理的な変化があったとは思えないのに、心理的には明らかに影響がありますよね。
これはよく考えてみれば不思議な現象です。
なぜ僕たちはこのようにかくも簡単に他人の感情、場の状況などに影響を受けてしまうのでしょうか?
まだ、あります。
長年連れ添った動物の感情が手に取るように分かる
気配や思念らしきものを感じて横を見たら猫が「お腹空きました」とでも言わんばかりにこちらを見つめていた
予感があたる。シンクロニシティが起こる。
インスピレーションを得る。イタコやチャネリング的な経験をする。
気功や催眠、合気道など変性意識の働きかけによる作用を受ける。
また対人場面においても
相手のちょっとしたしぐさ、雰囲気などからいわく拒絶感だったり、よそよそしさ、何かを隠していそうな感じを覚えた経験は誰でもあるでしょう。
これらはなぜ起きているのでしょう?
視覚的な情報を、これまでの経験に照らし合わせて類推しているというのは勿論あると思います。
しかしながら自分の鼓動が速くなるとか、何か息詰まるような圧迫感を覚えるとか、いわく言い難い感覚も心身両面から覚えることがあります。
はたしてこれらはただ視覚的に得た情報から脳が勝手に作り出した主観的、個人的な反応に過ぎないのでしょうか?
また、団体競技などのスポーツ、あるいは合唱コンクールなどで皆と心が一つになった感覚を覚えたことがある人は多いでしょう。
あるいは、ライブなどの熱狂でトランス的な状態になったり、お笑いを見て皆と一緒に笑ったときの一体感、これは、ただ家でお笑いを一人で見て笑っている時とは明らかに異なる精神状態、より快い感覚になるでしょう。
更に「念を込めると当選確率が当たる」といったにわかには信じがたいような実験結果もあるそうです。
こういった意識上の体験は一体何なのでしょうか?
この誰しもが経験のある感情の伝播や一体感こそ「ワンネスという仕組み」と深い関係のある現象だろうと思っています。
他の記事で書いているので詳細は割愛しますが、
人間の意識は三次元空間に重ね合わされた三次元+1の空間側にあります。
「一次元(一線)を見るためには二次元(平面)からでないと見れない」
「二次元(平面)を見るためには三次元(立体)からでないと見れない」
「三次元(立体)を見るためには四次元(持続)からでないと見れない」
なので三次元上の物体である物理的な肉体の中に意識はありません。
では、どこにあるのか?
三次元空間上に透明レイヤーのように重ね合わされた四次元空間側です。
(それは遠くのどこかではなく、ただあなたが今いる位置のことですが)
そして、この三次元+1の空間側に人々の意識が存在しています。
とすると下の画像のような状態になっているとみなせるわけです。
これが人間の意識の仕組みであり、上記で列挙した心理現象の理由じゃないかと思うわけです。
これですべてが説明できます(引き寄せや集合的無意識も説明できそう)。
とすると下の画像が僕らの実像ということになります。
ただし僕らは肉体のある内は、それぞれ個別の人間として生きています。
生きている内は、それぞれ「自分の身体」というくびきがあるので、完全に精神が混じり合うことはないのでしょう。
つまり個別の人間は大海に浮かぶ「受発信機付きの氷」のような存在です。
なので時には廻りからの波紋の影響を受けたり、キャッチもします。
同時に自分にしか見えない記憶や感情も持っています。
しかしながら根本的には全員、水属の精霊みたいなものです。
脳はID付きの受発信機であって、意識そのものではないのでしょう。
脳はテレビという機械であって、電波(意識)そのものではないのです。
意識も電波も目には見えませんが、意識はこの電波の兄弟みたいなものでしょう(だから「電波系」なんてスラングがあるのでしょうし)。
そして肉体的な死を迎えることは、個体である「氷」としての生を終わらせて、水なる生あるいは蒸気なる生を始めることになるのでしょう。
これが、よくスピ界隈で言われる「分け御霊」の実像です。
また『神との対話』の中で「人間ひとりひとりが神の一部」だと言われるのは、このことです。
神とは、あるいはグレートサムシングとは、すべての意識をつなぎ合わせた全体のことでしょう。
となるとインテリジェント・デザイン説はおそらく正しいですし、
とすれば物質から意識が生まれたのではなく、
まず先に大いなる意識があって、その意識が物質を作ったのでしょう。
それが三次元空間の始まり=ビッグバンなのかもしれません。
だから人間にとって、あまりにも都合よくこの世界はできているわけです。
だからバクテリアの鞭毛が何十億年かけても偶然できるとは思えないナノマシンのような複雑な構造になっていても何も不思議はないわけです。
では、なぜ物質世界が作られたのか?
意識のままだとチート過ぎて、つまらなかったのかもしれません笑
もっとシビアな現実を体験したいじゃん、
やらせなしの本物体験をしたいじゃん
そしたら肉体とか物質空間がいるじゃん、
対立存在もいるじゃん、
で、グレートサムシングは人間ゲームを作った。
そこで毎回アバターに乗り込み、記憶を消して、無限に遊んでるのが神の一部、神の子である人間。
これは単なる宗教的な妄念を超えた「合理的な解釈」だと僕は感じます。
スピリチュアル界隈の方便?信仰?を超えて、遠からず科学としても証明されていくんじゃないでしょうか。
(量子物理学方面から今すでにそうなりつつあると思いますけど)
神をひとりの人間に例えるなら、ぼくらはその体内の細胞です。
神はいるいない、なんて言いながら細胞同士で争っているわけです。
つまり人は今すでにワンネスという仕組みの中に在りながら唯物論的世界観に落ち込んでいるため、分離をもとにした生き方になってしまうわけです。
その分離の意識が、すべての苦しみや問題の原因です。
しかしながら本質的には分断なんてものは無かったのです。
(神の視点で考えると、あえて分断を作って楽しんでいるとも言えますが)
こうして考えると「ワンネス」というものが、ある特殊な趣味を持った人々の符丁ではないと思えてくるのではないでしょうか。
分断して自分だけ美味い汁をすするのも自由、分かち合って生きるのも自由の世の中で、どんな自分で在りたいでしょうか。
これは僕自身にとっても、容易には答えの出せない難問ですが。
今日もお読み頂き、ありがとうございました。
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